台湾の初級救命救急士(EMT-1)の資格を持つ日本の松岡博人(MATSUOKA HIROTO)さんは、台湾東部・花蓮県の近海を震源とする地震が発生したと知り、直ちに飛行機に乗って台湾へ駆けつけ、被災地入りした。2011年3月11日に発生した東日本大震災では台湾の人々が多額の義援金を送り、支援の手を差し伸べた。その恩に報いるため、自分が持つ救命救急士としての技術を使って、花蓮県での人命救助に協力したいと考えたという。
松岡さんは現在33歳。千葉県在住で、東京の病院で救命救急士として働いている。現在、台北市消防局の「鳳凰志工」と呼ばれるボランティア消防士らのチームに加わり、今回の地震で倒壊した雲門翠堤大楼(=ビル)の捜索救助エリアで待機している。
東日本大震災が発生したとき、台湾は直ちにレスキュー隊を日本へ派遣することを決めたほか、台湾の人々から多額の義援金が寄せられた。当時、松岡さんは台湾にいて、台湾北西部・苗栗県通霄鎮にある白沙屯拱天宮が行う「媽祖巡礼」に参加している最中だった。松岡さんは直ちに帰国して被災者の救助に協力。被災者のトリアージを担当した。
松岡さんは日本人の父と台湾人の母の間に生まれた。半分は台湾の血が流れている。子どものころは中国語ができなかった。このため、日本で救命救急士の資格を持っていたものの、法律の規制があり、台湾でその技術を発揮することができず、媽祖巡礼の医療支援チームに加わることもできなかった。このため松岡さんは台湾留学を決意。中国語を学び、台湾における医療の専門知識を身に着けた上で、ついに台湾の初級救命救急士(EMT-1)の認証を得た。
「東日本大震災で台湾の人々は支援の手を差し伸べてくれました。次は私たちが恩返しする番です」と松岡さんは話す。
松岡さんが勤務する病院の院長は、松岡さんが台湾で被災者の救助を行いたいと考えていることを知り、松岡さんが安心して救助に専念できるよう、直ちに2週間の有給休暇を取ることを認めてくれた。数年前の東日本大震災での台湾の行いがあったからこそ、院長も台湾に恩返しをするべきだと考えたのだろう。