2025/05/09

Taiwan Today

外交

断交のブルキナファソに9年間滞在、国交断絶後も人々の幸せ願う

2018/06/05
埔里基督教病院の滕春祐さん(写真)は、ブルキナファソでの病院建設や運営のため同国に9年間滞在。国交断絶で帰国するが、「友情は政治問題に勝る」として同国の人々の幸せを願っている。(滕春祐さん提供、中央社)
ブルキナファソのネットメディア、LeFaso.netは5月中旬から『ブルキナファソと台湾、25年にわたる協力関係』というタイトルのシリーズ特別報道を掲載した。同報道では、ブルキナファソにおいて台湾が提供した手工芸センター、コメの乾燥工場建設、医療支援プロジェクトなどが紹介された。しかし、4本の記事が公開された後、5月24日にブルキナファソが突然、中華民国(台湾)との国交断絶を発表したことで、このシリーズ報道の記事がまだ残っていたとしても、もはや日の目を見ないことが考えられる。
 
すでに公開されていた4本の記事のうちの1つは、病院施設のCHU-Blaise Compaoreにスポットをあてたもので、報道ではこの施設のことを、「双方の協力成果の手本」と形容していた。病床数600床のこの病院が出来るには台湾の協力が欠かせなかった。建設工事から机、電球などの用具、さらに情報管理システムなどは全て台湾によるものだった。
 
この協力プロジェクトを最もよく知るのは、台湾中部の南投県にある埔里基督教病院の院長特別助手である滕春祐さん。台湾で滕さんを知る人のほとんどは彼を「滕特」と呼ぶが、ブルキナファソでは同国の歴代衛生担当閣僚から一般人まで、「Paul」と呼んだ。この名前はブルキナファソの公用語であるフランス語にはよくあるものだが、「台湾人のPaul」と言えばそれは滕春祐さんのことだった。
 
56歳の滕春祐さんは2009年5月にブルキナファソに渡り、CHU-Blaise Compaoreの建設に協力した。当初は長くても2年間の滞在と考えていたが、病院が完成すると新しい病院のニーズに気付き、引き続き情報管理システムの整備を指導した。その任務が2014年に終わると、今度は臨床技能の向上を助けることになった。そして今年2月に新たな人工透析センターが運営を開始した時には、滕さんがブルキナファソにわたってすでに9年が経っていた。
 
CHU-Blaise Compaoreは現地で、衛生的かつ明るく、良質なサービスを提供すると広く評価されている。費用は公立病院と私立病院の中間。地元の人たちは、「台湾人の病院だ」としていたが、滕春祐さんはいつも、「ここはあなたたちの病院であり、私たちは手伝いに来ただけだ」と話した。
 
滕春祐さんによると、ブルキナファソの外務省が断交を宣言した日、CHU-Blaise Compaoreの院長は急いで滕さんを呼んだ。また、埔里基督教病院に手紙を書き、互いの技術協力継続を希望した。規定通りならば、協力計画はすでに終わっていたが、埔里基督教病院は「自分たちと同じように隣人を愛せよ」という同病院の教えに基づき、友情による遠隔の支援を行うことにした。ブルキナファソのスタッフがシステム上のトラブルに遭った場合は、今でも埔里基督教病院に教えを乞うことが出来る。
 
滕春祐さんはブルキナファソの友人たちに対し、「政治は政治、友人は友人だ。我々の間の友情を忘れることはない。これは縁であり、友人は政治問題に勝るのだ」と告げたという。国交断絶について滕さんは、「本当に惜しいと感じる。残念な気持ちは確かにある。でも努力はしたのだから神の意思に従おう。ブルキナファソでの日々は価値あることで、その間の苦楽は一生忘れない。ブルキナファソにおける台湾の足跡は必ず残り、容易に消えることはない」と話している。
 
 

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