1986年10月7日、当時の蒋経国総統は米ワシントンポスト紙の発行人、キャサリン・グラハム(Katherine Graham)女史によるインタビューに対し、近々戒厳令を解除する考えを示した。当時、蒋経国総統の英語通訳を務めていたのは後に総統となる馬英九氏だった。
グラハム女史が、「貴国が近々戒厳令を解除し、政党の結成を解禁するというのは本当か」とたずねたのに対し、蒋経国総統は落ち着いた口ぶりで、関連の国家安全法令制定後、戒厳令を解除し、政党の結成を解禁すると回答した。馬英九前総統は当時を振り返り、蒋経国総統の述べた「国家安全法制定後に戒厳令を終わらせる」、「政党の合法的な登記を開放する」といった重要な言葉を英訳しながら、「体に電流が走ったように感じた」、「我々は今まさに歴史を書き換えていると自分に言い聞かせた」と話した。
この会談後、中華民国政府は1987年7月15日に、台湾本島と離島・澎湖を対象に、38年間続いた戒厳令を解除すると宣言。同年11月2日には中国大陸への里帰りを解禁し、1988年1月1日には台湾における新聞社設立の制限を解除した。
蒋経国総統は実は、大変早くから戒厳令解除と国会改革の問題を考えていたという。馬前総統は、ある日、蒋経国総統から「戒厳(マーシャルロー)」の意義について聞かれ、ブリタニカ百科事典など様々な参考資料をまとめて蒋総統に「戒厳」の意義を文字として説明した。すると蒋経国総統は大変驚いた様子で、「(夜間の外出禁止や軍隊の街頭での駐屯など)多くのことを我々は行っていないではないか」と聞き返したという。
1987年7月14日、当時の蒋経国総統が、翌15日0時に戒厳令を解除すると宣言、台湾は自由で開放された民主のムードへと歩みだし、政治、経済、文化のいずれもが多元的な発展へと向かえるようになった。
政党の結成禁止、新聞社設立の禁止が解除されたことで、メディアは「百家争鳴」(自由に議論を戦わせること)となり、文字媒体とラジオ、テレビ放送は戦国時代に突入した。登録された出版社は戒厳令解除前には3,000社だったが、出版法など関連の法令が廃止され、文化審査・検査も過去のものとなったことで、メディアは登録が不要になった。出版社は2007年には9,388社に増え、新聞社も戒厳令解除前の31社から2007年には2,325社へと激増。雑誌社は5,178社に達した。しかし、近年ネットメディアが大きなシェアを占めるようになり、伝統のメディアは大きな影響を受けた。財政部(日本の財務省に相当)による2017年4月時点での資料によれば、新聞社は218社に減少、雑誌の出版社は1,212社に、書籍出版社は1,747社へといずれも減っている。
1993年にラジオ放送の周波数とケーブルテレビの設置申請を解禁すると、台湾のラジオとテレビの放送メディアは急速な発展を見せた。2001年にはケーブルテレビ64社が放送をスタート。2007年位は124社に増え、中国廣播公司と従来からの地上波テレビ放送局3社の優位性は失われた。国家通信伝播委員会(NCC)の資料によれば、今年6月時点で台湾におけるラジオ放送局は170社、テレビ放送局は99社となっている。テレビ放送局は地上デジタル放送、衛星放送、ケーブルテレビ業者、MOD(中華電信・チャイナテレコムのインターネット回線を使用した放送)、ケーブルテレビデジタルチャンネル、インターネットテレビの六大業種に分けられる。
また、1987年の戒厳令解除後、内政部(日本の省レベルに相当)の統計によれば、1989年にすでに40の政治団体が登録されていたが、翌年には19団体増加。そして2000年、初の政権交代が起きた年には合計93の政党が存在していた。その後、2008年の二度目の政権交代の際には144団体に。そして2016年には三度目の政権交代が実現。政党の数は今年6月の時点で319となっている。
全国的な社会団体は昨年末で1万5,539団体。1987年の戒厳令解除時には734団体のみだった。2008年には8,542団体に増えていたが、昨年末にはさらに1万5,539団体と、2008年に比べてほぼ倍増している。
政治の自由化は経済の自由化ももたらした。外貨、並びに華僑と外国資金に対する管制が緩和されたのである。国家発展委員会(省レベルに相当)の統計によれば、1980年代における台湾の対外投資は14億米ドルにすぎず、華僑や外国人による台湾向け投資は30億米ドルにも及ばなかった。しかし、2016年末の時点で台湾の対外投資は120億米ドル、華僑や外国人による台湾向け投資も110億米ドルを超えた。
一方、資金の流れに対する制限が解除され、台湾の企業が世界各地に進出するようになった。年間売上が4兆3,000億台湾元(約15兆6,300億日本円)に達するホンハイ精密工業株式会社は20年前、資本金わずか3億台湾元(約11億日本円)の企業だった。しかし、ホンハイをはじめとする台湾の製造業上位2,000社の2016年の売上は26兆台湾元(約94兆5,400億日本円)を上回り、台湾の経済規模は世界で23位(GDP5,230億米ドル)となっている。
経済の活発な発展により、一人当たり国民所得も1987年の3,144米ドルから2016年には1万9,626米ドルに増加。GDP(国内総生産)は戒厳令解除前の769億米ドルから、2016年には5,299億米ドルへと増加した。これはそれまでの30年間で、台湾の人々が生み出した労働価値が6.9倍になったことを意味する。
台北株式市場の時価総額も、1987年の上場企業140社、時価総額1兆3,800億台湾元(約5兆180億日本円)から2016年には、上場企業892社、時価総額27兆2,000億米ドル(約98兆9,000億日本円)へと成長した。外貨準備高も1987年はじめの約490億米ドルから今年6月には4,419億米ドルに増加。過去最高を更新した。
30年前、中華民国(台湾)の出国者数は年間で延べ48万人だったが、2016年には延べ1,458万人を突破。中華民国にビザ免除(ランディングビザ)措置を実施する国・地域は2008年の54カ国・地域から今年は166カ国・地域へと3倍に増えた。
台湾の人々は戒厳令解除後、世界が目を見張る政治の民主化、人権と自由の保障、経済発展の奇跡を成し遂げ、民間には活力が満ちている。文化部(日本の省レベルに相当)による今年1月から2月の文化クリエイティブ産業統計では、映画関連企業が1,752社、音楽及び舞台芸術関連の企業が3,442社、デジタルコンテンツ関連の企業が4,777社、広告関連企業が1万3,642社に達している。これらの数字からは文化クリエイティブ産業の盛んな発展ぶりがうかがえ、台湾の社会は今後、より多元的かつ開放的な発展に向かっていくことだろう。