2025/07/17

Taiwan Today

文化・社会

総統文化奨シリーズ(3):音楽で文化を形成する舒米恩さん

2017/11/15
台東県出身の舒米恩(スミン)さんは、台湾の先住民族の一つ、アミ族のシンガーソングライター。このほど、第9回総統文化奨の「青年創意奨」を受賞した。故郷の都蘭で、先住民族の若者たちの文化教育に取り組み、「阿米斯音楽祭」を立ち上げたことなどが評価された。(中華文化総会サイトより)
台湾南東部・台東県出身の舒米恩・魯碧(Suming‧Rupi)さんは、日本でも「スミン」の名で知られるシンガーソングライター。台湾の先住民族の一つ、アミ族(Amis)の出身で、アミ族の人々が多く暮らす台東県東河郷の都蘭(A'tolan)という集落で育った。家庭ではアミ族の母語であるアミ語を使う暮らしをしていた。舒米恩さんはこのほど、第9回総統文化奨の「青年創意奨」を受賞した。故郷の都蘭で、先住民族の若者たちの文化教育に取り組み、文化的意義に富んだ「阿米斯音楽祭(AMIS MUSIC FESTIVAL)」を立ち上げたことなどが評価された。
 
舒米恩さんはこう語っている。――「社会は、先住民族に対する誤解、敵意、ステレオタイプな見方であふれていました。都蘭の学校の生徒たちが台東県の県民運動会に出場したときも、都蘭という学校名が台湾語(台湾最大の方言、閩南語とも呼ぶ)の『胸クソ悪い』という意味の『賭燗』に似ていると嘲笑されました。これは明らかに言葉によるイジメです。社会はそれほどに、私たちに不親切でした。それでも私たちは、これを自虐的な笑いに変えることで乗り越えました。EQ(心の知能指数)が高かったからです。一生ついて回る名前ですから、そうでもしないと都蘭をひとたび出れば人々に笑われてしまう。そんなことでは生きていけません。」
 
進学のために台湾北部・台北に出てからは、マイノリティである先住民族が置かれている境遇をより実感することになった。国立台湾芸術大学(台湾北部・新北市板橋区)を卒業後は、故郷の都蘭に戻った。「当時は一つの教育方法しかありませんでした。しかし、学校の教科書は私たち先住民族への配慮がありませんでした。だから先住民族たちですら、自分たちのことを理解できずにいました。」
 
故郷に戻ったとき、舒米恩さんは25歳前後だった。舒米恩さんはその頃、「先住民の集落の子どもたちのことは、自分たちで教育しよう。自分たちなりの教育システムを作ろう」と心に決めた。舒米恩さんはまず、アイデンティティ(自己同一性)を探すことから始めた。それはまず「意識して自分を好きになること」だった。そこで、母語についてより深く学び始め、年長者らが行う伝統行事の文化的意義を改めて見直すことにした。
 
アミ族の文化を愛し、それを後世に伝えていきたいと願う舒米恩さんは、集落の若者を連れて海へ行き、海の生態系を教えた。男子には泳ぎや竹を採るコツを教え、女子には山菜摘みや織物を学ばせた。こうした取り組みは、集落の若者たちが母語に触れ、生態系に対する知識を深め、そしてアミ族の生活を認識するきかっけになった。
 
しかし、一般社会では先住民族が母語を話す機会はなかなかない。それならば母語を話す機会を作ろうと、舒米恩さんはアミ語の歌を収録したCDを出し、都蘭に住むアミ族の人々の手による音楽祭を立ち上げることにした。「興味を持った人は、母語を学びに来て欲しい」――そんな思いで取り組んだ。
 
舒米恩さんは2011年、アミ語で歌ったファーストソロアルバム『Suming』で第22回「金曲獎(ゴールド・メロディ・アワード)」最優秀先住民語アルバム賞(最佳原住民専輯奨)を受賞。2015年には映画『太陽的孩子(邦題:太陽の子)』のオリジナルテーマソング『不要放棄』を歌い、この年の第52回「金馬奨(ゴールデンホース・アワード)」最優秀映画オリジナル楽曲賞(最佳電影原創歌曲奨)、翌年の第27回「金曲奨」最優秀楽曲賞(最佳年度歌曲奨)を受賞した。
 
舒米恩さんが自身の音楽活動の傍ら、故郷の都蘭で毎年実施している「阿米斯音楽祭」も、2017年で4回目を迎えた。都蘭の文化にアイデンティティを見出す人々を動員するだけでなく、その他の先住民族集落からも文化活動を行う若者を招待している。こうした若者たちは、豊年祭やその他の祭典など、集落が行う伝統行事に参加した経験も持つ。しかし、舒米恩さんは、こうした集落の伝統行事とは一線を画し、教会、学校、または協会などの名義でイベントを行うことも避けている。それは「阿米斯音楽祭」を、純粋な文化イベントとしての音楽祭とはっきり位置付けているからだ。
 
政府からの助成を一切受けていないため、政府高官に祝辞を依頼することもない。公職についている集落の年長者らは当初、これに懸念を示していた。しかし、舒米恩さんは「集落の父親や母親こそが都蘭の『高官』だ」と譲らなかった。舒米恩さんは、「阿米斯音楽祭」の成果を自分の手柄にすることなく、多くの人々のおかげで実施することができたといつも強調している。
 
「阿米斯音楽祭」は昨年から、オリジナルののぼりを制作している。音楽祭の会場となる都蘭国中(=中学)だけでなく、周辺の商店などがこののぼりを掲げている。「ここは都蘭国なのです。ここに来る人はお金を払って入場券を手に入れますが、それは都蘭国に入国するためのビザを取得するためのお金なのです」と舒米恩さんは笑う。そして急に真面目な面持ちになって、「国を愛するというのは、人を愛し、その土地を愛し、そこにアイデンティティを見出すことです。これは台湾に大きく不足しているものです。多くの人々が、海外へ行って初めてそのことを理解します」と話す。
 
第9回総統文化奨の主催機関である中華文化総会は、舒米恩さんの授賞理由について、「長年、先住民族集落に根付いた活動を行い、集落の若者たちに文化教育を施してきた。これは、Uターンで故郷に貢献する集落出身者の模範でもある。この独立の精神、郷土愛の精神が、台湾の文化と社会を変えた」と説明している。
 

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