2025/06/05

Taiwan Today

文化・社会

高丹華さん、烏坵の物語でイギリスの聴衆を魅了

2017/11/20
離島の烏坵で生まれた高丹華さん(左)が、イギリス・ロンドン大学東洋アフリカ研究学院における台湾研究センターで故郷の物語を紹介して大きな反響を呼んだ。写真はSOAS台湾研究センターのDafydd Fell主任(右)に著書を贈呈する高丹華さん。(中央社)
離島の烏坵(かつては福建省莆田県だったが現在は金門県が代理管轄している)で生まれた高丹華さんはこのほど、イギリス・ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)における台湾研究センターで故郷の物語を紹介し、大きな反響を呼んだ。SOASは欧州においてアジア、アフリカ、中近東に関する研究を行っている重要な学術機構で、高丹華さんは台湾の離島出身者として初めてSOASで講演した。
 
台湾時間の17日午前、高丹華さんは「烏坵灯台-ある女性の命の戦場」と題して烏坵灯台の歴史を紹介。高さんによれば、烏坵の灯台はイギリス人が建てたことで、烏坵とイギリスとの間に縁が生まれた。今回の講演も、高さんがイギリスにこの灯台の資料を探しに来たところ、ノッティンガム・トレント大学のベテラン講師、Russell Murray夫妻が紹介してくれたことで実現した。
 
烏坵灯台はイギリス人が建て、ノルウェー人が灯台守を務めた。その後日本人に占領され、米軍の爆撃を受けた。さらに国民政府と中国共産党が敵対していた時期には中華民国陸軍反共救国軍が駐留。烏坵は軍によって管理され、今では冷戦の遺跡となっている。高さんによると、現地の住民は水不足や電力不足など、生活上の様々な問題に苛まれながら耐え忍んだ。小学校を卒業すると、船で48時間かけて金門島に移り住んで中学に通った。実家に戻れるのは1年に一度だけで、まだ幼いころから家族と離れ離れにならざるをえなかった。
 
それでも高さんは、自らの学生生活よりも烏坵の老人たちが中国大陸との間で行き来した苦労を思うとつらくなるという。烏坵は中国大陸側の湄洲島と20海里しか離れていないのに対し、代理管轄している金門県とは72海里の距離がある。高さんによれば、烏坵の一部の住民は若い頃、自由に憧れて湄洲島から烏坵にやってきた。その後、烏坵は軍の管理下となり、医療施設も足らなかったため湄洲島に戻ったが、こうした人たちは中国大陸での戸籍を失っており、亡くなってもただ埋葬されるだけなのだという。
 
高丹華さんが小さい頃、烏坵には教師がおらず、「阿兵哥老師(兵隊が務めた臨時教師)」が生まれた。こうした「先生」たちとの戦地での交流は今も忘れられない。軍が海辺の岩場を爆破して兵舎を建てたことで出来た、「人工の天然プール」も高さんの楽しい思い出となっている。
 
1998年、台湾電力株式会社が原子力発電所の使用済み核燃料を烏坵に廃棄しようとした時、高さんは住民を率いて台湾電力に抗議、このことで彼女の故郷を想う一連の行動が始まった。総統の目の前で、「烏坵を救え」と大声で訴えたことで、政府は烏坵のニーズに目を向けるようになった。また、烏坵灯台は高さんが20年間強く呼びかけたことで、県の古跡認定から運用再開へと進み、さらに今月末には国定の古跡に昇格することになった。
 
SOAS台湾研究センターのDafydd Fell主任は、自らの烏坵に関する知識は核廃棄物との関係に限られていたが、この小さな島にこれほど多くの感動的な物語があったことを知り、大きな収穫だったと話した。
 
 

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