2025/05/06

Taiwan Today

文化・社会

台湾の開拓が始まって400年、台南の古井戸は少なくとも84本

2018/01/05
台南市安平区の海山館にある古井戸。掘られたのは清の時代。「水協仔」(台湾語でポンプのこと)も残っている。(中央社)
台湾南部・台南市は台湾本島の開発が始まった古都。水道が普及していない時代、人々は川の近くに住んで水を利用した他、井戸を数多く掘って水を得ていた。当時の井戸は共用の「公井」と、家で個人が使用した「水井」に大きく分けられる。
 
台南市文化局は専門家に委託し、同市中西区、安平区、北区、東区、南区、安南区という旧台南市の6つの行政区で古井戸の調査を実施。昨年7月には井戸の外観をとどめているものが80本確認できた。さらに昨年末には中西区で4本が見つかり、合計84本となった。
 
年代別に見た場合、84本のうちオランダ占領時代(1624~1662)のものが11本。鄭成功氏政権の時代(1662~1683)のものが7本。清朝統治時代(1683~1895)のものが43本。日本占領時代(1895~1945)のものが17本。そして中華民国の時代(第二次世界大戦後:1945~)のものが6本。
 
行政区別に見たならば、中西区に31本、東区に5本、南区に15本、北区に8本、安平区に21本、安南区に4本。中西区と安平区は台南市で最も早くに開発された区域。当時の地形では海に近く、住民も最も多かったとされており、井戸の数もそのため飛び抜けている。
 
これらの古井戸ではすでに封をされているものが少なくない。水源が枯れていない場合、付近の住民の多くが緊急時の水源としており、水不足の時に困らないようにしている。一部の井戸には「水協仔」(台湾語で井戸のポンプを指す)があり、たやすく水を汲めるようになっている。台南市で水不足が起きたときにはいつも、「水協仔」でバケツに水を汲んでいる人を目にすることができる。
 
これらの古井戸は古ければ古いほど深さと大きさがある。これは当時掘られた井戸の多くが「公井」だったため。「公井」の直径は1mから2mもあり、深さ3mに達するものも。それに対して個人が家で使用する井戸は直径1m以下、深さも2m程度だった。古井戸の多くは家の中に隠れていること、そして水道が普及すると井戸の多くは使われなくなったり、埋められたり、覆いで隠されたりした。
 
中西区神農街にある許蔵春氏の旧居には台湾が清の領土だった時期に掘られた個人の井戸がある。二つの家屋にはさまれた中庭に位置し、今も水は枯れていない。地下水脈を通ってたどりついたと見られるタウナギが井戸の壁を掘って外に頭を出しているのを見た人もいるなど、内外からやってきた行楽客の多くがここでこの古井戸を見学するのだという。
 
また、安平区の海山館にも古井戸がある。掘られたのは清の時代。そばには「水協仔」も残っている。井戸はすでに封がされているが行楽客には人気で、父親が子どもに「水協仔」を操作させて写真を撮る姿が見られる。
 
 

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