2025/05/21

Taiwan Today

文化・社会

ブヌン族のルーツをたどる旅、今年で16年目

2018/01/16
かつて内本鹿(台湾南東部・台東県延平郷)に住んでいたブヌン族が15日、本来集落があった内本鹿で30日余りを過ごす「ルーツをたどる旅」をスタートさせた。この活動は今年で16年目を迎える。一行は狼煙(のろし)を上げ、祖霊に対してまもなく出発することを伝えると共に、旅の無事を祈った。(中央社)
日本が台湾を占領していた1941年、台湾南東部・台東県延平郷に住むブヌン族は、日本政府によってもともと住んでいた標高1,000m余りの内本鹿を追われ、平地への移住を強制された。2002年以降、ブヌン族の人々は本来集落があった内本鹿で30日余りを過ごす「ルーツをたどる旅」を実施している。
 
16年目を迎える今年は、先住民族による「伝統領域」の使用権承認の徹底を掲げる政府の政策に呼応するため、例年より規模を拡大し、ブヌン族以外の参加も可能とした。今年は6組のチームが台湾南部の高雄市、屏東県、南東部の台東県から入山し、内本鹿を目指して合流する。参加者は40名余り。
 
そのうち最年少者は3歳の女の子で、ニックネームは小米。漢民族の代表だ。ブヌン族の最年少は12歳の古聖祥さん、最年長は54歳のNabuさん。15日に出発して2月14日に戻るまでの合計31日間の長旅となる。
 
Nabuさんは15日、ブヌン族の若者たちと狼煙(のろし)を上げ、祖霊に対してまもなく出発することを伝えた。Nabuさんは、当時の記憶を持つブヌン族もすでに少なくなり、記憶も少しずつ薄れていると指摘した上で、「我々は長老たちの記憶を頼りに歩き、かつての集落を目指す。そしてブヌン族のあるべき姿を探し出し、正真正銘のブヌン族になる」と語気を強めた。
 
今回の活動の発起人であるKabuさんは、「内本鹿までの道のりは断崖絶壁、山崩れ、それにススキだらけの足元の悪い地形が続く。標高1,300mから2,500mまで移動するのに、70~80度の勾配を登る必要があることも。1人当たり40㎏以上の荷物を背負い、合計31日を過ごす旅になる」と説明した。
 
漢民族代表として参加するのは、野生動物の研究を行う小八さんと、妊娠5か月の妻、それに3歳になる小米ちゃんだ。小米ちゃんは2016年1月、まだ1歳もならないうちに初めて両親に連れられ、内本鹿の山奥で30日間過ごした。生まれて初めて雪に触れたほか、その年、台湾を襲った強烈な寒波にも耐えた。2017年も同様に30日間、内本鹿で過ごした。今回は3歳にして3回目の参加となる。ブヌン族と伝統領域で過ごす期間も、3回を合計すると90日近くになる。
 
内本鹿には、台東県延平郷から古い登山道をたどって行く。この15㎞に及ぶ登山道には、日本人によって温泉、清水、楓と名付けられた3つの駐在所が設置された。日本占領時代、この「生命線」とも言える登山道で日本人とブヌン族による悲惨な流血事件が起きている。
 
1941年、Haisulと名乗るブヌン族の勇士が、日本政府による集団移住政策を不満とし、日本の警察に内本鹿への帰還を申し出た。申し出が聞き入れられなかったことから、Haisulらは日本人に武装攻撃を仕掛け、日本の警察官2名が死亡、負傷者多数を出した。ブヌン族はこれを「内本鹿事件」と名付け、2002年以降、事件の発生した3月9日までに内本鹿へ戻る、「ルーツをたどる旅」を続けている。
 

ランキング

新着