台湾の漫画家、Jimmeh Aitch(黄駿)さんは、1978年に生まれ、多くの漫画家と同じように小さい頃から漫画を読むのが大好きだった。ただ、自分で描いてみようと思うまでへの道のりは長く、32歳になった年、初めてペンを持って描き始めた。
Jimmeh Aitchさんは2010年、米国の大学院博士課程を修了した。就職のため様々な企業に履歴書を送っていたが、本心ではこのまま米国に滞在しないかもしれないと漠然とした思いがあった。そのような中、急に思い立ち、絵を描いて別れる友達にプレゼントしたことがペンを持つきっかけとなった。
Jimmeh Aitchさんは、日常生活や友達との思い出を漫画にしてプレゼントし、ソーシャル・ ネットワーキング・サービス(SNS)にも投稿した。
翌年、台湾の漫画出版社、慢工出版社がインターネット上のJimmeh Aitchさんの作品に目を留め、連絡し、本格的に漫画出版に向けて話し合いが持たれた。こうしてJimmeh Aitchさんは、漫画家となる道の第一歩を踏み出した。30歳を過ぎて漫画家になる決意をしたJimmeh Aitchさんは、「心の中にある情熱を無視することができなかった」と語った。
渡米前のJimmeh Aitchさんは、台湾で広告学を学んでいたが、広告の目的はマーケティングが主体で、「話術で人をだます」ように感じていた。それから、言語が人にどのような影響を与えるのかについて興味を持ち始め、言語学の授業を聴講するようになった。卒業後は、米国へ渡り言語人類学を学んだ。その後、フィリピン・マニラや米領グアムで教鞭をとり、現在は、フィリピン中部・イロイロに暮らしている。
慢工出版社との作品出版について話し合い始めて約5年の歳月をかけて、Jimmeh Aitchさんは作品「哈囉哈囉馬尼拉(HALO-HALO MANILA)」を出版、販売した。Jimmeh Aitchさんの視点から見たフィリピンでの生活をテーマとした作品だ。
Jimmeh Aitchさんは現在、慢工出版社で定期的に発行している漫画誌「熱帶季風」の編集および翻訳を担当し、引き続きフェイスブックのファンページにも作品を投稿している。
Jimmeh Aitchさんは、「漫画が自分に与える最大の満足感は、自由であるということ。漫画家は、創作を開始するとき、パソコンであってもまず、一枚の白紙を目の前にする。その白紙に自分の中にあるアイデアをどのようにも表現することができるという自由がある」との創作の喜びを語った。