2025/08/03

Taiwan Today

文化・社会

作家の李敖氏が死去、笑いも憤りも文章に

2018/03/23
作家の李敖氏(右)が3月18日に82歳で亡くなった。李敖氏はその鋭い文筆と発言が印象的で、「戒厳令のしかれていた時代に敢えて権威主義体制に抵抗した文人として自分が二番目ならば、自分を上回る一番目はいない」と豪語した。(中央社)
作家の李敖氏が3月18日に82歳で亡くなった。李敖氏はその鋭い文筆と発言が印象的で、「戒厳令のしかれていた時代に敢えて権威主義体制に抵抗した文人として自分が二番目ならば、自分を上回る一番目はいない」と豪語した。李敖氏の創作活動は主に、コラムやエッセイ、小説で、詩や伝記にも及んだ。しかし最も有名だったのは歴史研究。慎重な考証とシンプルな文章に加えて、その著述はストレートで鋭く、強烈な批判精神にあふれており、笑いも憤りもみな文章にしてみせた。李敖氏はかつて、「でたらめを言って死ぬ者もいるが、自分はでたらめで生きる」と話した。
 
26歳の時、李敖氏は「文星」という雑誌で初めて文章を発表。タイトルは「老年人和棒子(老人とバトン)」で、高齢者が若者にバトンタッチしないことを批判した。そして、「心配なのは、年寄りがバトンを渡さないどころか、それで若者の頭を殴ることだ」と話した。
 
若くして知識人の論戦に加わった李敖氏は1965年、「文星」に掲載した文章により同雑誌が休刊に追い込まれたことで、国民党批判、並びに言論・出版の自由を訴える道へと歩み出した。李敖氏は権威主義の時代における異端の思想家とみなされ、戒厳令がしかれていた間に発禁処分となったのは96作品。執筆活動休止を余儀なくされた。その後、1970年代後期に文壇に復帰すると大量の文章を発表、著作は120種類を超えた。
 
言論の自由を求め続けた活動家、鄭南榕氏(1947~1989)は雑誌、「自由時代」を創刊すると李敖氏を編集長に招いた。1984年3月の創刊号の表紙は李敖氏の肖像画で、裏表紙には「100%の自由に向けて、憲法違反の出版法に挑戦する」と書かれていた。李敖氏の言論の自由に対するこだわりが示されている。
 
国立政治大学(台湾北部・台北市)台湾文学研究所の「講座教授(Chair Professor)」、陳芳明氏は18歳の時に李敖氏が「文星」で発表した文章を読んだ。陳氏は当時を振り返り、「李敖氏は自分の時代の願い、行動、反逆の象徴だった。彼の反逆には不遜で手ごわい姿勢があり、深い歴史と知識の訓練も持ち合わせていた。あの時代の知識分子は皆、熱い思いで彼の言動を見ていたが、勇気を出して彼と行動を共にする者はいなかった。李敖氏は左派を自称する知識分子より強い批判力を持ち、より過激で力強かった」と話す。
 
李敖氏は1935年に「満州国」のハルビン特別市(当時)で生まれた。1949年に両親と共に上海から台湾に渡り、台湾中部の台中市に定住、当時の台湾省立台中第一中学に入学した。反逆の姿勢は学生時代からで、学校の体制に反感を強めた李敖氏は高校2年生の第2学期(台湾では8月から翌1月までが第1学期、2月から7月までが第2学期)に休学し、自宅で学習を続けた。26歳で雑誌「文星」に加わった李敖氏は、「給談中西文化的人看看病(中国と西洋の文化を語る人たちの病気を診てあげる)」という文章を手始めに、立法委員(国会議員)の胡秋原氏と共に創刊した「中華雑誌」、文化大学(台湾北部・台北市)の教授、史紫忱氏の発行していた「陽明」、鄒郎氏が発行した「文化旗」などで長期にわたって文章による論争を繰り広げた。李敖氏は「駆け出しの青年」という姿で大勢の学者に立ち向かい、文化人の間で知られるようになった。
 
白色テロの時代、人権擁護のため李敖氏は台湾独立運動家の彭明敏氏の逃亡に協力。また、台湾で迫害を受け、投獄されている政治犯のリスト(共産党員や台湾独立運動家などが含まれる)を入手すると、このリストを国連と人権擁護団体に送って告発しようとした。彼はこのリストを、良心の囚人を支援・救済する国際的な非政府組織、アムネスティ・インターナショナルに送ったが、リストは日本で台湾独立運動家に奪われ、李敖氏の同意を得ないまま、台湾独立運動家たちによる刊行物に掲載されることとなった。李敖氏はその巻き添えで1972年に懲役10年、公民権はく奪6年の判決を受けた。その後、蒋介石総統(当時)崩御に伴う大赦で懲役8年6カ月に改められ、1976年に釈放された。実際に監禁されたのは5年と8カ月だった。
 
文化部(日本の文部科学省に類似)は蔡英文総統に対して褒揚令の授与を打診するとしていたが、息子の李戡氏は、「父は一生気ままに生きた。遺志に従って葬儀などは簡単に済ます」として、褒揚令の打診を断った。文化部は、遺族の決定を尊重するとして哀悼の意を表している。
 
蔡英文総統は自身のフェイスブックで、「権威主義的な圧力と、声を上げることが許されない静寂の時代において、李敖氏のような人がいたからこそ、台湾の社会は沈黙を破ることができた。李敖氏が強権と戦うために心血を注いで残した数百万もの文字は、台湾社会にとって永遠に重要な資産となるだろう」と記した。
 
 

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