2025/07/01

Taiwan Today

文化・社会

元ボートピープルのベトナム系米国人、命の恩人に涙で感謝

2018/05/02
40年前、台湾の漁船に命を助けられたというベトナム系米国人Thai-Nguyen Dangさん(中央)は1日、当時漁船の船舶通信士をしていた黄宗舜さん(左)と再会を果たした。右はDangさんの妻。(中央社)
「あなたたちは、私たちにとってまるで天使でした。29名の難民の命を救ってくれてありがとうございます」――40年前の命の恩人を探すため、はるばる台湾までやってきた元ボートピープルのベトナム系米国人Thai-Nguyen Dangさんは、高ぶる気持ちを押さえられず、涙ながらに船舶通信士の黄宗舜さんにこう話した。
 
さかのぼること40年前。ベトナムは、ベトナム戦争後の混乱期にあった。当時学生だったDangさんは、兄や同級生など合計29名でベトナムを脱出した。29名の中には女性や子どもも含まれていた。しかし、難民たちを乗せた船は海上で故障。あわや海の藻屑(もくず)になるかと思われたとき、船体に「大」という文字が書かれた漁船が運よく通りかかり、助けの手を差し伸べてくれた。「大」という漢字と、会話の中から聞こえてきた「高雄」という発音が、Dangさんの記憶に残った。
 
それから40年後。Dangさんは4月30日、友人に伴われて台湾南部・高雄市を訪問し、あのとき自分たちを助けてくれた漁船の船長を探したいと協力を求めた。このことが報道されるとすぐに、一人の男性が高雄市の行政ホットライン「1999」に電話を掛け、当時の関係者だと名乗り出た。かつて「大川一号」という漁船で船舶通信士をしていた黄宗舜さんだった。
 
高雄市は5月1日午後、Dangさんと黄宗舜さんの対面の場を用意した。Dangさんは黄宗舜さんと対面するなり、当時の南シナ海での出来事を思い出したかのように、高まる感情を抑えることができず、あふれる涙をぬぐった。感情が高ぶったDangさんが、黄宗舜さんの前にひざまずいてお礼を言おうとし、黄宗舜さんがそれを制止する場面もあった。黄宗舜さんはDangさんに対し、「あの難民たちは本当に運が良かった」と繰り返した。
 
黄宗舜さんの記憶によると、当時「大川一号」と「大川二号」の漁船2艘は南シナ海を航行中だった。そのとき、小さな船が漁船に近づいてくるのが見えた。やがて漁船に最接近すると、難民たちが次から次へと漁船によじ登ってきたという。漁船のほうはなすすべもなく、かといって難民を船から下ろすわけにもいかなかった。当時船長だった宋謹安さんは、黄宗舜さんと対応について話し合った。そこでまず船会社に連絡を取った。会社側は、漁船に判断を委ねることに同意した。こうして船長は、難民たちをシンガポールの沖合まで運ぶことにした。そこから難民たちを救命いかだに乗せ、シンガポールに向かわせることにしたのだ。
 
ベトナム難民29名は、こうして宋謹安船長の漁船で4日間を過ごした。宋謹安船長はその期間、難民たちに十分な食事を与え、シンガポール沖で別れた際にも、当面必要な食糧を持たせた。黄宗舜さんによると、当時は難民を受け入れない国が多かった。宋謹安船長は救命いかだと必要な物資を難民たちに与えると、暗闇に紛れて彼らを漁船から下ろした。漁船がその場を離れようとしたとき、軍艦による追跡・監視を受けたが、幸い検問されることはなかった。
 
Dangさんによるとその後、救命いかだはシンガポール上陸前に穴が開き、空気が漏れてしまった。このため女性と子どものみをいかだに残し、男性は全員海に飛び込んだ。もともと、シンガポールに上陸するつもりでいたが、潮流に流されてたどり着いたのはインドネシアの島だった。上陸したとき、武器を持った人々の尋問を受けた。Dangさんたちは急いで両手を挙げ、投降の意思を伝えた。1978年7月12日、Dangさんたちが上陸したのはインドネシア・ビンタン島にあるタンジュン・ウバンという町だった。
 
高雄市は今回、宋謹安船長の行方も探したが、9年前に他界していることが判明した。Dangさんは宋謹安船長に直接お礼を言うことができないと知ると、宋謹安船長の銅像を作って、その勇気ある行動をより多くの人に知ってもらえるようにしたいと申し出た。Dangさんはまた、宋家の残された家族やその他の船員たちが生活に困らないよう、できる限りの支援をしたいと申し出た。
 
Dangさんは最後に、今年7月に再び高雄を訪れ、宋謹安船長の夫人に会いに行くことを約束した。「夫人やその子どもたちに会って、宋船長がどんなに素晴らしい人だったかを伝えたい。船長の素晴らしい行動を、もっと多くの人たちに知ってもらいたい」と話した。
 
Dangさんが当時のお礼を言うためにわざわざ台湾にやってきたことを知った宋謹安船長の夫人は、亡き夫の行いを忘れずにいてくれたことに感謝すると共に、亡き夫は晩年穏やかに暮らしていたこと、今度墓参りにいったときに「あなたが助けたベトナムのお友達が、わざわざ感謝の言葉を伝えるため、台湾にやってきましたよ」と伝えたいと話した。
 
奇しくもこの日(5月1日)、中華民国(台湾)とドミニカ共和国が国交を断絶した。台湾が外交上、厳しい立場に立たされている中、このベトナム系米国人と台湾の漁民を結びつけた40年前の出来事は、まさに「国民外交」の成功例と言える。フレンドリーで人道支援においては誰にも負けない台湾の国民性を示す、心温まるストーリーである。
 

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