2025/05/02

Taiwan Today

文化・社会

美しき墾丁はかつての「クジラ墓場」、台湾の捕鯨史調査は待ったなし

2018/09/28
「台湾一のクジラ捕り」を目指した蔡文進さん(写真)は台湾における捕鯨史を直接目にしてきた人物。その貴重な記念品として、クジラの歯を加工したパイプ(蔡さんが手に持っているもの)を今も大切に保管している。(聯合報より)
国際捕鯨委員会(IWC)は先ごろブラジルで開いた総会で、永続的にクジラの保護を行う「フロリアノポリス宣言」を採択し、捕鯨を支持する日本などからは不満の声が上がっている。台湾はIWCの会員ではなく、以前は世界の商業捕鯨に加わっていた。日本占領時代では台湾南部・屏東県恒春鎮(墾丁)の南湾が台湾唯一の捕鯨基地だった。第二次世界大戦が終わると台湾は捕鯨を再開。捕鯨基地は墾丁の香蕉湾漁港に移り、1981年に捕鯨が禁止されるまで事業は続いた。
 
恒春地方の歴史研究家、念吉成さんによれば、以前は、日本占領時代の捕鯨基地が墾丁南湾で、捕鯨基地はその後香蕉湾に移ったことしか知られていなかった。しかし念さんは数年前、恒春気象観測所が提供した、ある古い資料を翻訳した。それは60年以上閉鎖されたままの、「恒春百年測候所」でかつて日本人が書いたもので、そこには南湾(旧名は「大坂埒」)での捕鯨データが詳しく記載されていた。念さんは文献を調べると共に年老いた関係者を訪ねて歴史をたどろうとした。ただ、当時から長い時間が経っており、関係者の多くはすでに亡くなり、生きていても記憶があいまいで、念さんはいわば「時間と競争」しながら台湾における捕鯨の歴史の断片をつなぎ合わせようとしている。
 
南湾のビーチは日本占領時代には「クジラの墓場」と例えられた。ビーチの南側には今もクジラを陸揚げする際に使われた施設(桟道)の跡が残る。念さんによると、1913年、台湾海陸産業株式会社はこの海域一帯が黒潮と親潮の交わる場所でクジラが回遊することに目をつけ、捕鯨基地を新たに建設したが2年で閉鎖。1920年には台湾総督府による委託を受けた東洋捕鯨株式会社が南湾で捕鯨事業を再開した。同社はノルウェー製の新型捕鯨船を購入、経験のある捕鯨船員を雇って一時は事業が大きく成長した。しかし、第二次世界大戦の末期には米軍の爆撃によって破壊され、桟道の一部しか残らなかった。
 
台湾の中華民国復帰後、膨大な利益が見込めるにもかかわらず捕鯨業は当初重視されなかった。台湾における捕鯨業が表舞台に出たのは10年経ってから。政府のサポートを受けた祥徳漁業行が日本の極洋捕鯨株式会社と提携、新たな捕鯨基地を南港から5㎞の距離にある香蕉湾漁港に設けたのである。
 
台湾における捕鯨業は1955年、墾丁の香蕉湾漁港に改めて登場し、クジラ保護の意識が高まって1981年に捕鯨が全面的に禁止されるまで続いた。現在90歳の蔡文進さんは捕鯨砲の元砲手。「台湾一のクジラ捕り」を目指して捕鯨船に乗り、25年間捕鯨を続けた。台湾の海域を全てめぐり、捕まえたクジラの数は多すぎて覚えていられないほど。この「台湾最後の捕鯨砲砲手」は、台湾における捕鯨業の興亡を目にした数少ない人物なのだ。
 
蔡文進さんは若い頃、カジキ漁の名手だったが、26歳の時に台湾北部・基隆市やとなりの新北市淡水区で船長としての訓練を受け、船長の免許を取得して帰郷した。当時、徳祥漁業行は日本から新たな捕鯨船を買い入れると共に日本側と提携、航行に精通した台湾籍の船長を第一砲手に育成することが急務だった。蔡さんは恒春漁会(日本の漁協に相当)の李栄生総幹事の紹介を受け、捕鯨業に飛び込んだ。報酬が良かったこと、加えて「台湾一のクジラ捕り」になろうと思ったことがその理由。そして日本の砲手や機関士について捕鯨を学ぶことになったのである。
 
蔡さんは船主が指定した見習い砲手だったが、日本人砲手は真剣に指導しなかった。取って代わられることを恐れたのだ。このため蔡さんは日本人砲手をしっかりと観察し、その動きを隠れて記録した。3カ月後、実際に砲台に立った蔡さんはたちまち照準器で狙いをつけると20mの有効射程内で命中させ、日本人砲手を驚かせたという。
 
当時の捕鯨は離島の琉球嶼(=小琉球とも。屏東県)から恒春の南海岸にかけての一帯で行うことが最も多かったが、台湾本島の海なら全てが捕鯨の範囲だった。最も遠くまで出かけたのは日本の宮古島海域。1日で最高11頭捕まえたこともあったが、その後は総重量に関する規制が設けられ、捕獲量は減った。蔡さんが最も印象深いとするのは、蒋介石、蒋経国の両総統(当時)が視察のため香蕉湾を訪れたこと。当時捕鯨業は収益性が高く、両総統は、「みなさんは台湾の経済に貢献している」と称えたのだという。蔡さんの家にはクジラの歯が1本残されている。パイプに加工されたこの歯を高値で買い取るという人もいたが、蔡さんは手放そうとはせず、台湾における捕鯨史に立ち会った貴重な記念品にすることを望んだのである。(聯合報より 記者 潘欣中)
 
 

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