台湾中部・雲林県は今年1月、「元長傅氏大宗祠」を「歴史建築」(文化財)に指定した。「宗祠」とは一族の者が祖先を祭る場所のこと。「元長傅氏大宗祠」は雲林県でただ一つの「傅」を姓とする一族の「宗祠」。伝統的な「宗祠」として典型的なものの一つで、規模や様式、色彩、砂利の洗い出しを模した仕上げなど民間芸術の特色を備えている他、設置当初の構造と風貌を今日まで維持しており、「傅」一族がここで継承してきた特色を残している。
「傅」一族の歴史を記した「董頭衍派傅氏大宗祠族譜」によれば、「傅」一族は中国大陸福建省泉州の南安県董頭社から始まる。乾隆6年(1741年)に傅元使(通称は傅掌もしくは傅元掌)が家族と共に台湾に渡って来て、白沙墩堡(現在の雲林県元長郷)に家を建てて住み着いた。「傅氏大宗祠」の修復記録である「傅氏大宗祠重修紀要」には、日本占領時代の昭和10年(1935年)に建てられ、50年あまり修繕されてこなかったと書かれている。そして民国75年(1986年)に台風被害で大きく破損したことを受け、「宗親会議」(「傅」一族の会議)が、内部はそのままにしながら当初の姿を復元することを決めた。そして民国78年(1989年)の中秋節(旧暦8月15日)に修復が終わり、先祖の霊を再び「宗祠」に戻したのである。
現在71歳の傅松林さんによると、「傅」一族の先祖は元長郷にやってきて開墾に努めた。当初は3人の妻がそれぞれ「三合院」(庭を「コ」の形で囲んだ住宅)を持っていたが、現在はそのうち一つが残っている。
15年前、当時元長郷役場の民政課長だった傅秋霖さんは『元長傅氏大宗祠文物彙編(文物全集)』を著している。しかし、傅秋霖さんが亡くなり、この祠を管理する者も、線香をあげて祭る者もいなくなった。約8年前、現在の「傅」一族がこれを憂慮、管理委員会を立ち上げて3年前に「歴史建築」としての指定を申請した。今回、この申請が認められ、晴れて「歴史建築」になったことになる。
この祠の貴重な点は、ここが台湾にある「傅氏宗祠」では珍しい閩南様式のものであり、多く見られる客家様式ではないこと。雲林県が出版している『雲林秘笈』によれば、「傅」一族のうち通称「元掌」という先祖が台湾にやってきて開墾を始めており、『乾隆輿図』には「元掌」とい地名がある。つまり、現在の「元長」郷は当時「元掌」だったのである。そして「長」は閩南語のうち中国大陸泉州での発音では「ZYUN」、中国大陸漳州での発音では「ZIANG」ということから、この二つの発音は今も使われているのだという。
「歴史建築」に指定された「元長傅氏大宗祠」内部の置物、供え物を置く机などは昔のまま。特に屋根を支える梁に取り付けられた獅子の彫刻(大木獅座)、入り口に設けられた鼓を模した石の彫刻(抱鼓門枕石)はかつてのまま保存されており、非常に貴重。獅子の頭は内側を向き、剣を背負っている。これには子孫の平安を守る意味合いがある。また、入り口の両側に設けられ、らせんが刻まれた「石の鼓」は精巧な彫刻が施されており、この2点は値段のつけられない宝だという。その他、この祠では当時中国大陸から持ち込まれた材料やデザインを目に出来、また壁に刻まれた「祠の銘」も1935年のもの。当時の「傅」一族の代表3人、「傅蔴」、「傅趕」、「傅炎」の名前も一部、読みにくくはなっているものの確認できるのだという。