1987年、台湾で38年間続いた戒厳令が解かれた。それは権威体制の終結の象徴であり、台湾の歴史における重要な分岐点となった。戒厳令が敷かれていた時代(1949~1987年)、政府は流行音楽や出版に対する審査を行い、その内容を厳しくコントロールしていた。戒厳令の解除により、政治上の制限が打ち破られ、社会各界が動きを取り戻し、台湾経済が成長を始めた。中産階級が台頭し、台湾社会は民主主義の時代に入った。思想や言論が検閲を受けることは二度となくなった。
1989年、台湾で「金曲奨(ゴールデン・メロディ・アワード)」が誕生した。今年でちょうど30年になる。「金曲奨」の30年を振り返ると、その最大の変化は政府の役割であろう。
台湾中南部・嘉義県にある国立中正大学伝播学系(=コミュニケーション学科)の簡妙如主任は「金曲奨」の30年間を振り返り、政府の役割が「規制・審査」から「賞の授与による奨励」へと変化し、そして最近の2年間は「裏方」へと変化していると指摘する。その主務官庁である文化部(日本の文部科学省に類似)は、「金曲奨」の対象にならないカテゴリーの音楽があることに気付き、インディーズ音楽を奨励するようになった。そしてオリジナル作品の奨励を中心とした「金音創作奨(ゴールデン・インディー・ミュージック・アワード(GIMA)」を創設した。「金曲奨」と「金音創作奨」を分けることで、その両方に引き続き活躍の場を与えようとしている。
2000年以降、海賊版や音楽共有サイト、ストリーミングサイトなど、音楽の楽しみ方が変わるにつれ、政府は流行音楽産業のテコ入れに力を入れている。これは政府が「流行音楽が単に流行音楽市場を盛り上げるだけのもの、あるいは自己表現の一種にとどまらず、クリエイティブ産業の一つになりうるもの」だと意識するようになったからだと簡妙如主任は指摘する。現在、「金曲奨」は授賞式だけでなく、流行音楽に関するシンポジウムも開催している。「金曲国際音楽節(ゴールデン・メロディ・フェスティバル)」という形式で波及効果を高め、産業の発展を促している。これは、時代のニーズを反映したものと言える。事実、マンダリン(北京語)で歌われる「華語流行音楽(マンダリンポップミュージック)」は現在、台湾で最も好調な発展を遂げているエンタメ産業の一つだからだ。
今年で30回目を迎える「金曲奨」について、簡妙如主任は歴史の契機となる3つの重要な事件を挙げている。まずは2000年、乱弾阿翔(Luantan Ascent、アセント・チャン)が「最佳演唱団体奨(=最優秀ユニット賞)」を受賞したことだ。当時、この賞の名称はまだ「最佳楽団奨(=最優秀バンド賞)」ではなかった。乱弾阿翔は受賞の際、「バンドの時代がやってきた!」と叫んだ。これは「金曲奨」の歴史に残る名言に違いない。
いわゆる「楽団(=バンド)」とは、レコード会社がCDを出すために結成させたグループではなく、最初から自分たちで仲間を募り、自分たちの歌を歌うグループのことを指す。例えば濁水渓公社(LTKコミューン)、五月天(メイデイ)、四分衛(Quarterback)、董事長(チェアマン)などが、この時代にデビューした。「阿翔の主張は当時、マンダリンポップミュージックの未来に新たな局面を示すものだった。それは『金曲奨』に対する想像を、そしてポップミュージックのあり方に対する想像も膨らませた」と簡妙如主任は指摘する。
2つ目の事件は、客家(ハッカ)語のフォークシンガー、林生祥の受賞辞退だ。2007年、台湾南部・高雄市美濃区の出身である林生祥は「金曲奨」の授賞式で、受賞を辞退するという行為に出た。これは当時、「金曲奨」の18年の歴史で初めての出来事だった。林生祥の主張は「音楽はジャンルによって分類するものであって、エスニシティや言語によって分類するべきではない」というものだった。「金曲奨」のテーマは音楽であり、エスニシティや言語ではない。すべてのエスニシティが平等であると強調するのであれば、マンダリンを使用した楽曲のみが「最優秀女性シンガー」と「最優秀男性シンガー」と分けられており、先住民族言語や客家語にはこの区分がないのはおかしい、というのが林生祥の考えだった。
林生祥の行為は、「金曲奨」の分類観念に対する挑戦だった。林生祥は、自分の音楽は言語やエスニシティの壁を超えるものだと考え、「最優秀男性シンガー賞」を受賞する資格があると考えた。しかし、彼に与えられたのは「最優秀客家語シンガー賞」だったのだ。それで彼は受賞を辞退した。しかし、賞金は受け取った。そしてこれを、地元美濃の植樹ボランティアチーム、美濃社区報『今日美濃』、有機農業の雑誌社、それに台湾のWTO加盟によって衝撃を受ける農家のために立ちあがって「白米炸弾客」事件を起こした楊儒門を支援するために使った。
この受賞辞退事件は、さまざまな議論を呼んだ。そして「金曲奨」に新たな想像を生み出した。流行音楽は全体の美学を重視すべきで、それがどの言語で歌われているかは問うべきではないという各界の声が強まった。流行音楽は社会の実情を描くもので、使用される言語は日常生活を反映したものだ。しかし、使用されている言語は決して、音楽のジャンルを決定する主要な要因とはならない。
しかし、「最優秀客家語シンガー賞」は現在も設置されたままだ。客家語、先住民族の言語など、マイノリティー言語もしかるべき保障を受けるべきだという主張は根強い。この賞が設置されたままとなっているのには、やはり象徴的な意義があるのだ。こうした政治的事実は依然として、考慮されなければならないのだ。
3つ目は2013年、台湾の人気バンドグループ「五月天」の授賞式での出来事だ。彼らは「乾杯」のミュージックビデオで「最佳音楽録影帯奨(=最優秀ミュージックビデオ賞)」を受賞した。パフォーマンスの内容は依然として熱狂的だった。しかし、その背後のスクリーンに映し出された映像に、ライブハウス「地下社会」の合法化を求める抗争シーンが何度か映し出されたことが注目された。台湾北部・台北市大安区の国立師範大学の近くにあった「地下社会」は当時、サブカルチャーの重要な舞台となっており、1976、四分衛、糯米糰(Sticky Rice)、瓢蟲(Ladybug)、旺福(WONFU)、白目(The White Eyes)、宇宙人(Cosmospeople)、表児(Children Sucker)、八三夭(831)などのバンドがかつてここで演奏した。収容人数80~100名のバンドハウスだ。しかし当時、近隣の住民と商店の間では対立が高まっていた。もともと閑静な住宅街であったところに商店が増えすぎたためだった。当局は、違法営業を続けていた商店を取り締まり始めた。「地下社会」はライブハウスでありながら、飲食店として届け出ていたことが摘発された。また、消防などの安全措置が規定に合致していなかったことから、違反切符を2回切られた。こうした中、ライブハウス合法化を求める声が高まった。当時、文化部の龍応台部長(=大臣)は善意をもって対応し、何度か座談会も設けたが解決には至らなかった。こうして「地上社会」は2012年7月15日に閉店。15年間の歴史に幕を閉じた。
「地下社会」の存在は1996年から2013年まで、インディーズバンドにとって非常に重要な拠点として機能していた。「五月天」が「金曲奨」の授賞式で伝えたメッセージは、学生時代は誰もが同じようにバンドを組んで演奏を行い「地下社会」で腕を磨いてきたということを訴え、社会の関心を呼び掛けるものだった。
台湾の最高学術研究機関である中央研究院の社会学者、林宗栄副研究員は、「金曲奨」を台湾の大衆文化の発展を観察する指標と見るならば、この30年間、「金曲奨」は台湾社会の多様性と包容性を反映してきたと指摘する。「金曲奨」はまた、さまざまな伝統を受け入れ、そして文化の伝統を作り出してきた。言語の方面で言えば、マンダリンから閩南語(=いわゆる台湾語)、客家語、それに先住民族言語まで、言語別の賞を次々に設立し、台湾の多様な文化を反映させてきた。また、産業という角度から見ると、「金曲奨」は30年間、台湾におけるレコード・CDや音楽産業の発展の独自性を見守ってきた。
台湾では1990年代から現在に至るまで、海外のレコード会社による合併や経営統合などが繰り返され、大手企業によるトップアーティストの囲い込みという状況がますます顕著になっている。それでもここ数年の「金曲奨」の授賞式を見ると、インディーズやマイナーのバンドやシンガーが、トップアーティストと肩を並べてノミネートされ、そして賞を獲得するという光景が見られる。これは、台湾音楽圏が持つ独特の視点によるものが大きい。それは、独創性やオリジナリティを持ったマイナー音楽を奨励しようとする美学であり、「金曲奨」というこのプラットフォームがイノベーションを奨励しようとする意欲を持っていることも、非常に重要な要因となっている。このため、台湾資本のレコード会社や小規模なレコード会社が依然として生き残り続け、流行音楽にとって重要な仲立ちとなっているのだ。
李宗栄副研究員は、「金曲奨」が華人社会において重要な文化交流のプラットフォームになることができると考えている。その成功の鍵を握るのが「開放性と多様性」だ。なぜなら、音楽の本質と純粋性にこだわり、多様で開放的な態度をとることで、「金曲奨」の華人社会における独特のポジションを維持できるからだ。これは、台湾社会が一体となって育ててきた文化遺産であり、非常に得難いものだ。
簡妙如主任は、マンダリンポップミュージックは創造力と産業力を持つと指摘する。これらはいずれも、台湾の言論の自由から来るものだ。だから我々は必ず、創作の自由、表現の自由を守らなくてはならない。台湾の流行音楽に魅力があり、代表性があるのは、我々が言論の自由を無制限に享受できるからだ。「金曲奨」がこれからも存在し続け、台湾が華人社会の流行音楽における表現の場となり、人々のために声を上げられる場であって欲しいと願っている。
第30回「金曲奨」の授賞式は明日(29日)、午後7時から台北アリーナ(台湾北部・台北市)で開催される。