2025/04/28

Taiwan Today

文化・社会

悲しみを越えて 百年1度の大地震は台湾に進歩の原動力を

2019/09/20
1999年9月21日に起きた「921大地震」。マグニチュード7.3の地震は無数の家屋を倒壊させ、そこで暮らしていた多くの人たちに悲劇をもたらした。しかしこの地震はまた、台湾に大きな「前進する力」も与えている。写真は昨年の「防災の日」(9月21日)に内政部消防署の特別捜索救助隊を視察した蔡英文総統ら。(総統府サイトより)
台湾では20年前の1999年9月21日未明に起きた「921大地震」によって無数の家屋が倒壊。そこで暮らしていた多くの人たちは命を失い、家を失い、家族と離れ離れになった。台湾に深い悲しみをもたらした地震はしかし、台湾により大きな「前進する力」も与えている。「921大地震」によって台湾の地震警報システムはいっそう整備され、建築法規もより精度が高く実効性のあるものとなった。また、台湾における救難体系を全面的なものに変え、自前の災害(捜索)救助犬の誕生にもつながった。そしてなにより、数多くの人々の人生を台湾が進歩していくための原動力へと転じさせたのである。
                         
●人の死を無駄にするな 犠牲から得た災害管理の知識 
 
「921大地震」が起きるまで、台湾で災害と比較的関係のある唯一の法律は1964年の「白河大地震」後に制定された「防救天然災害及善後処理弁法」だった。しかし、この法律は「災害後の善後策」という角度から防災をとらえたものにすぎなかった。
 
銘伝大学(台湾北部・台北市など)建築学科の王价巨教授は、「『921大地震』は間違いなく、台湾を大きく変えた災害だった」と言い切る。地震発生時、王教授は兵役でこの地震を引き起こした車籠埔断層の真上に位置する病院に勤務していた。地震が起きると同僚たちと入院患者を外に移し、ただちに災害救助の活動に加わった。しかし王教授はすぐに、当時の政府による災害救助能力の弱さに気付いた。そして、災害管理は自身が想像していた、「外に逃げ出せばよい」といったものではないことを思い知った。王教授は、「災害管理は、『自分の人生でやらなければならないこと』とみなしてしっかりと取り組んでいくべきものだ」と話す。「921大地震」は王教授にとってまさに、人生の重大な転機となったのである。
 
「921大地震」以前、台湾の災害防止と救助は補助や救済に重きが置かれていた。実際の救助活動も従来型の時代遅れのものだった。しかし、「921大地震」により、政府は災害防止と救助の体制、捜索救助能力、災害救助訓練の枠組みなどの面で遅れていた部分を知り、その充実に全力で取り組むようになった。
 
●「海外からの導入」から輸出へ 台湾の救難体系は世界に広がる
 
「921大地震」が発生した当時、台湾の救難体系は整っていなかった。外交部(日本の外務省に相当)の統計によれば、当時20カ国と国連、香港が合わせて41の救助隊及び767名の専門家を台湾に派遣し、捜索救助に協力した。この経験は台湾自前の救難体系の整備を促した。その後、世界各地で行われる救助活動には、しばしば台湾の救助隊も参加するようになった。2011年、日本で東日本大震災が起きた際、台湾は200億日本円とされる民間からの義援金のほか、民間と内政部(日本の省レベル)、台北市と新北市(いずれも台湾北部)、台南市(同南部)などが合同で組織した救助隊が被災地に入って救助活動を行った。中華民国志願服務協会で秘書長(事務局長)を務めた劉香梅さんは、台湾におけるボランティアの発展を振り返り、「『921大地震』が1つのマイルストーンになった」と語っている。
 
●学校の耐震性向上 教育だけでなく防災での機能も
 
かつて「行政院921震災災後重建推進委員会」(921大地震被災地再建委員会=被災地再建のため省レベルの政府機関として設立。2006年に廃止)の主任委員(=大臣)を務めた黄栄村さんは、IPCC(国連気候変動政府間パネル)がかつて台湾を「高リスク国」と位置づけたことを指摘する。台湾本島の西側で海面が80センチメートル上昇した場合、大量の住居や村落は移転が必要になる。数百万人の移動が余儀なくされる可能性もあるというが、「921大地震」の経験は、村落の移転が極めて困難であることを証明している。
 
その後、教育部長(日本の文部科学大臣に類似)も務めた黄栄村さんは学校の再建にも特別な思いを持つ。「921大地震」以降、政府が教育機関に求める耐震係数(耐震性)は大幅に引き上げられた。また、学校は地元コミュニティの防災、避難の中心としての役割も担わねばならず、新設される校舎の安全性も大きく向上した。これもまた、「921大地震」がもたらした変化である。
 
●軍による災害救助の標準作業手順確立 効果的な水平統合へ
 
「921大地震」はまた、中華民国軍の災害救助能力の確立と整備も促した。地震が起きた1999年当時、まだ無人機(ドローン)やネットワークなどの科学技術は無く、徒歩や車で現地に入らなければ被災状況は把握できなかった。さらに、その土地に対する理解が足らなかったことも迅速な救助活動の難しさと複雑さを強めた。このため、国防部(日本の防衛省に相当)はその後、各部隊が所轄する区域の災害危険地区を全面的に把握するよう要求、災害発生前から地元の自治体に合わせて兵力を配備し、救助活動で十分に力を発揮できるようにした。現在では多くの外国が中華民国軍の災害救助能力を参考にし、学ぶまでになっている。
 
「救災視同作戦」(災害救助には戦争と同じ姿勢で取り組む)という言葉は、「921大地震」以降、中華民国軍と無数の公的機関が身をもって下した結論である。そしてこの結論により、災害救助の標準作業手順が生まれ、効果的な水平統合が実現しているのである。
 
●「921大地震」の教訓 国家災害救助医療チームが誕生
 
「921大地震」は中華民国(台湾)の「国家級災難医療救護隊」(国家災害救助医療チーム)も誕生させた。この地震はコミュニティを破壊した大規模な災害で、当時地元の病院機能は完全に失われた。医療チームはあたふたと結成されたものの、被災地にどんな資源が必要なのかがはっきりせず、想像にまかせるしかなかった。そして多くの人々がけがを負っていると考え、救急処置に必要な医薬品や設備を大量に持ち込んだ。しかし現場に着いてみると、治療を求めてやってくる被災者はみな頭痛や腹痛、風邪など一般の病気で、持ち込んだ医薬品では足らず、軍の病院に支援を求めるしかなかった。深刻な外傷を負った患者は、すでに死亡しているか、ほかの県・市に緊急搬送されて手当てを受けており、被災地には残っていなかったのである。
 
国家災害救助医療チームは2000年に結成。重大な災害の発生時、同チームは発生から6時間以内に指定された被災地に入り、医療活動を正常に保たねばならない。また、被災地に入ってからの72時間、水と電力、食物は現地に頼らず、自給自足出来ることが求められる。台湾はかつて外国の経験を参考にしてきたが、今ではその能力を海外に提供できるまでになった。例えば2015年に新北市の「八仙水上楽園」で起きた粉塵爆発事故での対応。重度のやけどを負った大量のけが人を各地の消防局や病院を動員して緊急搬送し、死亡率を3%に抑えて世界を驚かせた。
 
●ドイツからの救助隊 台湾における救助犬訓練の起点に
 
「921大地震」では20カ国と国連、香港から41の救助隊が台湾に派遣されたが、これら救助隊は合計103頭の災害(捜索)救助犬も連れてきた。当時、救助犬のいなかった台湾はその重要性を知ることになった。地震後、内政部消防署が特別捜索救助隊を組織したのみならず、各県・市でも救助犬の育成に相次いで乗り出し、台湾自前の災害救助犬誕生への道が開けたのである。
 
ドイツ連邦救助犬協会(BRH)は2016年、内政部消防署の捜索救助隊に対して初めてドイツでの訓練参加を要請、翌年、ドイツは初めて救助犬チームを台湾での訓練に参加させた。この時ドイツ側は台中市消防局と協力覚書を締結、昨年には同市霧峰区に台湾での拠点を設置し、アジア太平洋地域で災害が発生した場合の救助活動に備えることとした。
 
20年足らずで台湾における災害救助犬の育成も大きく進歩した。20年前にはまったくいなかった災害救助犬は今では全国の各県・市で30頭あまりが活躍している。国連の国際救助システムに加わっている国際救助犬連盟(IRO)が認証を与えている救助犬はアジアに9頭。そのうち7頭は台湾の救助犬で、その豊かな成果は、台湾をアジアにおける災害救助犬の「ゆりかご」に成長させたのである。
 

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