2025/05/19

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文化・社会

児童文学に生涯捧げた林良さんが96歳で死去

2019/12/23
生涯を児童文学に捧げた作家の林良さん(写真)が23日に96歳で死去。代表作の『小太陽』が舞台化されたときに林良さんは、作品の中の家庭だけでなく自分の家庭も愛してほしいと望んでいた。(中央社)
生涯を児童文学に捧げた作家の林良さんが23日に自宅で死去。96歳だった。林良さんは1924年10月10日に中国大陸・福建省アモイで生まれ、1946年に台湾に移り住んだ。淡江英語専科学校(現・淡江大学)英国文学科と台湾師範学院(現・国立台湾師範大学)国文学科国語専修科を卒業。中華民国児童文学学会の理事長や、台湾で標準中国語(北京語)普及のために作られた新聞・国語日報の発行人などを務めた。国語日報は児童向けの新聞でもある。2005年に国語日報の董事長(会長)を退くまで新聞事業や出版に携わること56年。信誼基金会児童文学特別貢献賞など多くの賞と栄誉を手にした。
 
林良さんは長期にわたって児童文学や親子教育に関する執筆活動に従事し、亡くなるまで国語日報のコラム「看図説話」などを続けた。その読者は4世代に跨る。ペンネームは「子敏」(国語日報のコラム『小亨利』と『淘気的阿丹』)、「克山」などで、過去には中華文文学星雲奨(賞)の特別賞、国家文芸奨(賞)などを受けている。
 
著作の内容の多くは自身と妻、3人の娘による家族の生活と交流が主で、最も知られているのが1973年に書き上げた『小太陽』(小さな太陽)。すでに重版130回以上となっている。『小太陽』の中で林良さんは初めての娘を「小太陽」と形容した。当時2歳だった「小瑋瑋」は国語日報で現在編集長を務める三女の林瑋さんである。
 
林良さんは4年前に脳梗塞を患ったが、その後も短文を書き続けた。林瑋さんによると、父・林良さんはいつも手書きで原稿を書き、原稿の提出期限は必ず守った。しかしここ3カ月、林良さんは体力が衰えて口述での執筆となり、林瑋さんは父の話す言葉を書き写すと原稿を見せた。林良さんは内容にこだわり、7、8回繰り返してようやく確定したという。林瑋さんは、先週書き取ったものが最終回になるとは思わなかったと語っている。
 
5年前、『小太陽』はミュージカル化された。林良さんは当時のインタビューの中で、『小太陽』は執筆活動がスランプに陥ったときに「生活」という既存の題材を掘り起こしたことが無かったことに気付き、生活から材料を得てエッセイにし始めたのだと説明している。そして、ミュージカルを観た今の保護者たちが、時間配分を上手にして仕事と同時に家と子どもたちにも時間を費やすべきことを学んでほしいと希望した。林良さんはまた、観劇した人たちがみな、『小太陽』に書かれた家庭だけではなく、自らの家庭を愛してくれるようにと願った。
 
 

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