台湾の漫画好きで、日本の漫画の洗礼を受けたことのない人はほぼいないだろう。台湾の読者は、日本のスタイルの漫画に慣れきってしまっている。日本の漫画はまるで『西遊記』の孫悟空の頭にはめられた金の輪『緊箍児(きんこじ)』のように、台湾の漫画の成長にとって長く「足かせ」になっていた。
しかし、この10年近く、台湾で誕生した漫画家たちはようやくこの島から一歩踏み出し、自分の血が通う文化を題材にした作品で世界と交流するようになった。彼らはようやく、「台湾らしさ」を全面に押し出した作品のほうが、世界の読者から受け入れられることに気が付いた。表現の方法やストーリーを伝える手段に違いがあっても、台湾の漫画家がこれまで磨いてきた実力は、題材やストーリーにより深みを与えるものとなっている。
台湾の漫画はつまり、これまでとは違ったものになっている。絵によって物語を伝えるという特性を残しつつ、文学的な叙事方法を持った作品が雨後の竹の子のように登場している。先見性を持った人たちは、これまでのように日本の漫画界や同人誌への参加を目指すのではなく、自主制作漫画誌を立ち上げるなどして、新たな漫画誌ブームを引き起こしている。
大人向け漫画、「グラフィックノベル」というジャンル
フランスの「アングレーム国際漫画祭」台湾パビリオンのキュレーターを長く務めてきた大辣出版の黄健和編集長は、これまで台湾の漫画家を連れて世界を飛び回ってきた。そして、世界各地で開かれる出版・図書見本市で、「宝島(=台湾のこと)」の作品を紹介してきた。
こうした海外の出版・図書見本市で最も良く聞かれるのが「どういったジャンルの作品ですか?」ということ。黄健和編集長は数年前から、ごく自然に「グラフィックノベルです」と答えるようになった。そうすると相手も納得してくれる。これは、世界の漫画・出版界における大きな分類の一つで、非常に明確なジャンルの一つだからだ。
ここ数年、漫画は出版界からその芸術価値を評価されるようになっている。1978年に出版されたアメリカの漫画『ア・コントラクト・ウィズ・ゴッド』は、漫画家のウィル・アイズナー氏の作品だ。神に裏切られたと感じるユダヤ人を描いた物語だ。ウィル・アイズナー氏はこの作品を「グラフィックノベル」と呼び、漫画も芸術の表現方法の一種と見なされるべきだと考えた。
この潮流は1980年代、1990年代に広がっていった。世界中の漫画家がおそらくこの時代に、漫画で表現できる内容や形式に限界を感じたのだろう。こうして、漫画家たちはやがて家族の物語や個人の成長の記録を、漫画で表現するようになった。
台湾の「グラフィックノベル」のはじまり
台湾の漫画出版界で30年の経験を持つ黄健和さんは、柄入りのシャツにサンダルといういでたちで、「アメリカのコミック、日本のMANGA(漫画)、フランスのbande dessinée、どれも漫画だ。しかし、台湾人はこれまで日本の作品しか知らなかった。台湾で知られた漫画家と言えば、おそらく劉興欽さんや敖幼祥さんくらいだろう」と話す。
黄健和さんは大学で演劇を学んだあと、映画の助監督、監督などを経験。仕事の合間を見つけては漫画を読んだ。そして、自分の好きなことを仕事に出来たら、もっと多くの人に良い作品を見てもらえるのに、と考えるようになった。こうして出版社に入った。時報出版では2冊の漫画誌を編集した。敖幼祥さん、蔡志忠さん、鄭問さんなど台湾人漫画家たちとも一緒に仕事をした。
台湾ではそのころすでに、「グラフィックノベル」という形式を実践している漫画家がいた。麦人杰さんの『麦先生的麻煩』、小荘さんの『広告人手記』などがそれで、いずれも日常生活を題材にしたものだった。彼らが当時描き出した日常の出来事や歴史物語からは、いまになってみると「グラフィックノベル」の本質を見て取ることができる。しかし、これはおそらく漫画家自身も意識してなかったことだろう。
対象とする読者についても、大人を対象とした漫画が増えた。鄭問の『刺客列伝』、『東周英雄伝』は漫画という方法によって歴史物語を表現したものだ。『阿鼻剣』は仏教と武侠について取り上げたもので、人殺しから人間性の描写まであり、いずれも大人向けの題材と言える。深刻な議題や、大人の世界に存在する愛や憎しみを描いているからだ。
この10年近く、台湾の漫画界ではさまざまな作品が花開いてきた。読者が親しみのある日本の漫画や、精緻なヨーロッパの漫画だけでなく、「グラフィックノベル」というジャンルを耳にする機会も増えた。出版社が「グラフィックノベル」作品を出版し、漫画界でも「グラフィックノベル」が語られるようになった。書店にも「グラフィックノベル」のコーナーが設置されるようになった。漫画家たちは積み重ねてきたエネルギーを、この新たなジャンルの漫画誌に注ぎ込むようになった。
台湾で少しずつ積み重ねられてきたエネルギーや「グラフィックノベル」の自主制作漫画誌が、ようやく世界に注目されるようになった。台湾的、グローバル、そして個人的な題材を取り上げた「グラフィックノベル」に、いまになってようやく火が着いたのだ。例えばそれは、2020年「アングレーム国際漫画祭」で、台湾の『熱帯季風』、『波音漫画誌』、『TAIWAN COMIX』などが「オルタナティヴBD賞(Prix BD Alternative)」にノミネートされたことからも分かる。台湾の漫画家たちは、漫画という形式を借りて、どうグラフィックと文字を対話させ、オリジナルのスタイルを作り出すかを模索するようになり、これまでの漫画作品のスタイルから次第に脱却するようになった。
漫画を台湾への理解を深めるための手段に
2019年の「Openbook好書奨(=優良図書賞)」では初めて、漫画形式の創作が受賞作品の一つに選ばれた。イラストレーターの阿尼黙さんの漫画集『小輓』だ。これは、人々が「グラフィックノベル」に興味を持ち、漫画が一つの創作として評価されるきっかけとなった。
「私が出版したい作品は、本棚に10年配架するのに耐えうるもので、そしてたびたび取り出されてはページがめくられるような漫画作品だ」、「主流ではなかったものが主流に変わることもある。長い眠りについている間、漫画家たちはずっと創作を続けている。作品が発掘されるその時を待っているのだ」と黄健和さんは語っている。