2025/06/30

Taiwan Today

文化・社会

夢追い人たち、台湾におけるサーカス・曲芸とは

2020/05/15
台湾におけるサーカス・曲芸は伝統的なルーツを保ちながら新たな可能性を探っており、世界を見据えた発展が楽しみだ。写真は台湾特技団による演技。(台湾特技団フェイスブックより)
外国のサーカスと言えば想像がつくが、では台湾における「馬戯」(サーカスや曲芸のこと)はどんな姿をしているのか。「馬戯」に携わる陳星合さんによる書籍『台湾馬戯指南(A Little Guide Book of Circus in Taiwan)』では、「サーカス団には、大道芸、サーカス、寄席演芸、ピエロによるパントマイム、マジック、動物の調教師と動物、ダンサー、空中ブランコや綱渡りなど空中での離れ技、輪投げ、一輪車など、様々な種類のパフォーマンスが含まれ、その系譜を全て書き出すことは出来ない」と記されている。
 
衛武営国家芸術文化センター(台湾南部・高雄市)で芸術顧問を務める耿一偉さんによれば、欧州でのサーカスは時代と共に進歩した。動物の権利に対する意識が台頭し、人々が動物を使ったパフォーマンスは虐待だと考えるようになった。同時に、動物を飼育するコストが高すぎた。そうした事情が「新たなサーカス」を生み出した。最も知られているのが、カナダのシルク・ドゥ・ソレイユである。
 
シルク・ドゥ・ソレイユで1年近く働いた陳星合さんにとって同サーカス団体のステージは夢にまで見た舞台だった。彼は今、シルク・ドゥ・ソレイユに注釈を加えるならばとして、「例えて言うなら、シルク・ドゥ・ソレイユはサーカス界のマクドナルドでありスターバックスだ。彼らの演技は素晴らしく、安定もしている。にぎやかで華麗なカーニバルのようだ」と話す。
 
しかしサーカスは「にぎやか」、「華麗」、「カーニバル」だけにととどまらない。陳星合さんは、サーカスの演技者は自らのパフォーマンスを通じて観客により多く考えさせることが出来ると話す。こうしたサーカスは「現代サーカス」と呼ばれる。欧州で最も広がっており、フランスだけで、学位を持つサーカス団体が13団体、サーカスに関する組織が200あまりあるという。
 
団体を立ち上げて30年、今もパフォーマンスを続ける新象創作劇団の王光華団長は、「観客にとっては、サーカス、「特技」(特殊技能、アクロバットのこと)、雑技(中国サーカスのこと。軽業)のどれで呼ぼうが全く関係がない」と話す。これらは観客にとってはどれも同じものを指し、細かい分類は不要なのだ。「自分たちのことをサーカスと呼んでもいいし、現代サーカスと呼んでもいい。特殊技能でも寄せ集めでもいい。ポイントは自分なりの立ち位置を決めておくことだ。」
 
FOCA福爾摩沙馬戯団(フォルモササーカスアート)の林智偉団長は、サーカス、「雑技」(曲芸)、寄せ集めなどの呼び方については今も議論されていると言い、「みながこの産業、この問題に注目し始めた証拠であり、本質のさらなる整理につながるよう期待している。これはいいことだ」と話す。
 
国立台湾戯曲学院(台湾北部・台北市)民俗技芸学科で専任助理教授(assistant professor)を務める程育君さんによると、同学院の校内では「特技」と呼んでいる。程さんは、「この『特技』とは道具を使った上でテクニックを主に見せるパフォーマンスアートだ。演技者は道具を操る高度な能力、もしくは体に一般の人を上回る柔軟性や制御能力を備えていて、高難度で危険、かつ美しいテクニックを披露する。また娯楽性にも富み、老人から子どもまで、社会の様々な階層の人々がみな楽しめる」と語っている。
 
「特技」といえば李棠華氏に触れないわけにはいかない。台湾では昔、独自の「特技」が発展していた。日本占領時代、劇場では芝居が始まる前に短いサーカスを見せて観客を盛り上げていた。1949年、国民政府と共に中国大陸・上海から李棠華氏が台湾にやって来ると、同氏の率いるサーカス団は人々にとって重要な娯楽となった。また、李棠華氏は人材の育成を目指し、教育部(日本の文科省に類似)と教育制度の構築で協力、「中華民俗技芸訓練中心」を立ち上げた。そしてさらに、教育部は復興劇校(現・国立台湾戯曲学院)内に「復興綜藝団」を設立。メンバーには李棠華氏が教える「中華民俗技芸訓練中心」の学生と復興劇校綜藝科の卒業生を広く募った。「復興綜藝団」は数年前に「台湾特技団」と改名、国立台湾戯曲学院に属する形で、引き続き伝統的な演技に新たな想像力を注入している。
 
また、新象創作劇団の王光華団長は「特技」で恵まれない人たちを助けている。「李棠華特技団」は一世を風靡し、学生も多く集まった。王光華さんは同団体結成当時から李氏について学んだ、今では数少ない直弟子の1人である。王さんは1990年に独立して新象創作劇団を設立。近年は伝統的な演技の伝承に力を注いでいるほか、サーカスを利用した児童劇の創作も行っている。そしてさらにはサーカスを教育の1つにして、自閉症患者が専門的な能力を身に付けるのを助けようと「新心劇団」を立ち上げた。サーカスに社会福祉の役割を持たせているのである。
 
王光華団長は、「サーカスを定義づけるのは難しい。過去には文化部(日本の省レベル)の前身である行政院文化建設委員会に補助を申請したが、多くの場合政府が助成する文化活動の項目に当てはまらなかった」と話す。当時の補助の対象になった分類はシンプルで、「伝統戯曲類」として申請すべきか「当代戯劇類」として申請すべきかわからなかった。王さんは、「『伝統戯曲類』として申請したことがある。その時はタイワニーズオペラ(歌仔戯)と特殊技能を融合した演目だったが、専門家からは『特殊技能の文化的意義』を問われることになった。また、『西洋のサーカスは空中、東洋では地上だ』など、言い方の面でも意見が分かれた。これはおそらく、十数年前、サーカスや特殊技能が発展する過程で起きた混乱だったのだろう」と語っている。
 
1961年から1970年までに生まれた「5年級生」の1人である王光華さんは理論派ではない。学者や専門家から問い詰められると降参するしかなかった。9歳で「李棠華特技団」に入った王さんは当時を、「洗脳教育だった」と振り返る。毎日の授業では、「宣慰海外愛国同胞、争取世界反共友人」(海外で中華民国を愛する同胞を慰労すると共に、世界で共産党に抗う友人たちを募る)という2行を見ていた。王さんは、「我々は国を代表して国のために栄誉を勝ち取る。そのためならどんなにつらくてもかまわない。これこそ『文化的意義』ではないのか?」と問いかける。
 
それぞれの時代にその時の輝きがある。李棠華氏はその時代に輝いた七色のネオンサインだった。「李棠華特技団」の演目は「愛国心の色彩」に満ちたもの。マジシャンのポケットから摩訶不思議に現れるのは中華民国の国旗。公演では共産党のスパイが器材を壊すこともあったという。しかし毎回の演技におくられる拍手を、王光華さんは、「頭の上からものすごい雷雨が降ってくるようだった」と懐かしむ。李棠華氏が伝えた伝統的なサーカスのうち一部の演目は今も継承されており、「台湾特技団」の公演でもたびたび披露されている。とりわけ椅子を使った演目と「大武術」は有名だ。
 
椅子を使った演目のうち「椅子頂」と「排椅」では、直線もしくは斜めに椅子を積み上げ、演技者がその上で、バランスを取るのが極めて難しい倒立動作などを行う。観客の驚く声は絶えず、熱烈な喝采がおくられる。また、「大武術」は組体操のように人が重なり合って様々な形に変化していく演目。隊形は多様かつ壮大であるため、大きな場所を使ったイベントで披露されるかあるいはイベントのクライマックスで行われることが多い。
 
「台湾特技団」の王動員団長によれば、「台湾特技団」は学校に属しているとは言え運営は独立しており、国立台湾戯曲学院の卒業生に引き続き活躍の舞台を提供できる。また、商業的な活動も行っており、僑務委員会(華僑事務委員会=日本の省レベル)などと協力してユニークな公演を創り出している。
 
そんな台湾にただ一つあるサーカス学校こそ、国立台湾戯曲学院だ。同学院民俗技藝学科の張京嵐学科主任は、サーカスの団員の多くは拍手によって励まされていると話す。国立台湾戯曲学院は「特技」を教える台湾唯一の教育機関だと言え、卒業生の就職率は悪くない。張学科主任によると、「台湾特技団」に加わる以外に、自分で団体を立ち上げる卒業生も多い。また、一念発起して大道芸人を目指す学生も少なくない。張学科主任は、「ある学生は大道芸を熱烈に愛している。そこには正解も不正解も無い。大道芸にも素晴らしいものがある。自分がどの面で優れているかを見極めてそれを伸ばせばいい」と話している。
 
国立台湾戯曲学院は現在12年制。小学5年生から中学、高校の8年間でテクニックを学ばせる。それからようやく「学院課程」に入る。張学科主任は、「教育の重点は昔ながらのサーカスの訓練を維持すること。椅子を担ぐことから、皿回し、ディアボロ((ジャグリングの一種、中国ゴマ)まで。これらはみなマスターしなければならない。そして大学(学院課程)に上がってからは主にオープンな思想を指導する。台湾の子どもたちは広い視野を持ち、専門的なテクニックを身に付け、それを様々なパフォーマンスアートと結び付けることが出来る。つまりルーツを失わないまま、新たな可能性を探ることが可能なのだ。これは台湾の優位性だ」と語る。
 
では欠点は何か。張学科主任は台湾の市場が小さいことを指摘し、学校が育て上げたアクロバットのアーティストに、海外に出かけられるチャンスがあることを希望する。異なる国でさらにテクニックを磨くと共に、海外のサーカス学校もしくはサーカス団と交流してほしいのだ。
 
今年、張京嵐学科主任はチームを率いてフランスに赴き、世界からサーカスの若手演技者が集う第41回フェスティバル・モンディアル・デュ・シルク・ド・ドゥマン(Festival mondial du cirque de demain)に参加、団体演技で特別賞を獲得するという有意義な結果を出した。演目の「月光下之霊獣降臨(Lion Dance)」(月明かりの下での霊獣降臨)では東洋の伝統的なアクロバットである広東スタイルと北京スタイルの獅子舞に、台湾の先住民族による狩猟や動物の調教からインスピレーションを得た高難度の動作を組み合わせた結果、Europeenne de Spectacles社による特別賞を受けることが出来たのだという。
 
海外での公演は「台湾と台湾の文化を持っていくことだ」とする張京嵐学科主任は、受賞作品はその点を実現したものだと解説、「ここ10年、台湾の『特技』は変革の最中にある。テクニックを優先する東洋の伝統的なアクロバットが西洋のサーカス文化と融合し、時事や場面の描写、ならびに芸術的イメージの創造を通じて、演技者と観客の心の間に共感が生まれているのだ」と歓迎する。また、張学科主任は、サーカスが大道芸だけではないことを1人でも多くの人に知ってほしいと願う。サーカスは様々な舞台に上がることが出来るなど、他と溶け合える多元性を持つ一方で他のパフォーマンスアートとは異なる特質を備えている。「古い考え方がアクロバット発展の歩みを邪魔するようなことがあってはならない。そしてアクロバットが、パフォーマンスアートに新たな生命力を吹き込む機会を持てるようにしなければならない」と話している。
 
サーカス、「特技」、「百戯」(=雑技)、新たなサーカス、現代サーカス。名称は違えども全て、各地の創意が集結し、交流し学び合って生まれたものであることに変わりはない。時代はそしてそれをさらに開放的にする。サーカスはもはや、サーカスだけにとどまらないのである。
 
 

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