「東洋のノーベル賞」を目指す「唐奨(タン・プライズ)」の運営団体、唐奨教育基金会は20日、第4回タン・プライズの「漢学賞」をシンガポール国立大学の「特級教授(University Professor)」である王賡武(Wang Gungwu)氏に贈ると発表した。同基金会は選出理由として、王氏が中国における世界秩序、在外華人及び華人移民の変遷などの領域で先駆けとなる、掘り下げた分析を行ったことを指摘している。同基金会によれば、従来の中国研究は中国が内在する観点、もしくは西洋の視点からのものだったのに対し、王賡武氏は中国の歴史における南方の隣国との複雑な関係の研究、ならびに独特の視点を通して中国にアプローチし、世界の中での中国の位置づけを解釈する上で斬新かつ重要な貢献を果たした。
台湾の最高学術研究機関・中央研究院歴史語言研究所の陳国棟研究員によると、中国人が中国史を研究する場合、往々にして「華夏民族」(中華民族)を中心とする視点に立ったものとなるが、西洋の漢学研究は当初、「匈奴」や「鮮卑」(ツングース系民族)、「突厥」(チュルク族)など中国周辺と周辺の民族に注目したものだった。こうした西洋の研究は、中央研究院語言研究所で所長を務めた傅斯年氏に「虜学」(「虜」は北方民族に対する蔑称)と呼ばれたが、実はこの「虜学」は中国の学者たちが気付かなかった視点を補い、漢学研究をより完全なものにする効果があった。ただ、東洋と西洋の漢学研究が互いを補うことで研究は総合的なものとなるはずだったが、実は抜け落ちていた部分があった。それが、海外で生活した華人=在外華人の部分である。
しかし在外華人の研究は容易ではない。中国の文学と史学に精通している必要があるほか、東南アジアが長期にわたって欧州諸国の統治を受けた関係から、研究者はこうした旧植民地の宗主国に対しても一定の理解をしていなければならない。外国語能力のほか、各国の学術と伝統についても一定の知識を備えていることが求められるのだ。
王賡武氏の父親は教育者で、植民地政府での職務にも就いた。幼少時から父親による中国文化の薫陶を受けた王氏はその後、正規の英国式教育によって西洋の本格的な学術訓練も受け、研究者として理想的な条件を身に付けた。王氏が英語で出版した回顧録『Home is not here』(故郷はここじゃない)は在外華人独特の背景を伝えている。
王賡武氏は、現在の在外華人には複雑なアイデンティティがあると考えている。彼らは移住先で植民統治から解放された人々が建国する過程を体験した。自分もその国の一員だとするアイデンティティを持ちながら、華人の文化的アイデンティティも排斥しない。王氏は各歴史的要素に基づき、「華人性」の様々な歴史が築かれる過程を分析、華人グループはそれぞれの「華人性」による自己認識を以って各移住先や中国と関わっているのである。
中央研究院の黄進興副院長は、今年王賡武氏が「漢学賞」に選ばれた理由には「従来型と大きく異なる点」があると話す。従来型の研究は中国そのものとその周辺地区に限定されていたが、王賡武氏の注意力は華僑、海事史など海外へと広がり、中国の全体的な歴史研究をより完全で創意に満ちたものにしたのだという。
89歳の王賡武氏は1930年、旧オランダ領東インド(現在のインドネシア)スラバヤの華人家庭に生まれた。小さいころから父母の薫陶を受け、その後は英国式の教育も受けた。学術研究のためマレーシア、オーストラリア、香港、シンガポールなどに滞在、過去には香港大学の校長(学長)も務めた。1992年には台湾の中央研究院院士(フェロー)に選出。現在はシンガポール国立大学で「特級教授(University Professor)」を務めている。
王賡武氏の中国南方及び東南アジアの地政学に対する理解は1960年代に西洋の重要な学者、ジョン・キング・フェアバンク(John Fairbank)氏の注意を引き付けた。当時、『中国的世界秩序(The Chinese world order)』を編集中だったフェアバンク氏は王賡武氏に執筆を要請、王氏は『明初中国与東南亜的関係』(明朝初期の中国と東南アジアとの関係)を著して学術界から重視されるようになった。王氏は近年、さらに視点を再構築しており、2019年には『中道今来:中華伝統与天下新秩序的重建(China Reconnects:Joining a Deep-rooted Past to a New World Order)』を発表、幅広い反響を呼んでいる。
王賡武氏のもう一つの重要な功績は東南アジアにおける華人研究だ。王氏は華人には本籍や信仰、文化の違いがあり、それぞれ異なる時期に中国から海外へ移住したとしている。こうした人たちは経済活動の面でも異なるほか、それぞれ移住先の国に溶け込んでいる程度も違う。このため東南アジアにおける華人ははっきりとしたアイデンティティを持った単一グループではなく、多様なアイデンティティを持っているのだという。
王賡武氏は、在外華人に関する研究は中国の歴史の流れの中で論じるだけではなく、移住先での境遇も考慮すべきだと主張。今ではこうした在外華人は複雑なアイデンティティを持っており、その状況も彼らの祖先とは大きな隔たりがあると指摘している。東南アジアの国々は植民統治が終わってからの建国プロセスを経ており、華人を含む様々なグループがそのアイデンティティを共有している。そしてカギとなるのは、そうした華人の文化的アイデンティティが移住先の国民意識と対立しないことである。
王賡武氏は1953年以降、毎年のように新たな作品を世に問うている。米国の著名な漢学者、故G.William Skinner氏は王賡武氏について、「中国の歴史学者」、「マレーシアに関する評論の権威」、「南洋での華人問題の専門家」という3つの学術的な身分を持つ人物だと評している。
唐奨教育基金会の陳振川執行長によると、タン・プライズの「漢学賞」は思想や歴史、文字、言語、哲学などを含む広義の漢学が対象。目的はこうした漢学分野での成果を表彰すると共に、中華文化が人類文明の発展に果たした功績を示すこと。社会がグローバル化される今、漢学研究の意義は特に大きく、それは人々の文化的知識を豊かし、より深く世界を知ることにもつながるという。