金門県文化局(離島)は14日、金門県の蔡家が代々家宝として守り続けてきた先祖の肖像画『蔡復一画像』が、文化部(日本の文部科学省に類似)によって「国家重要古物(=国の重要な有形文化財)」の指定を受けたことを明らかにした。きょう(15日)、正式に公告される。離島の文化財が「国家重要古物」の認定を受けるのは初めてのこと。なお、金門県では過去に、同県で行われる民間信仰のイベント「金門迎城隍」が、離島としては初めて「国家重要民俗(=国の重要な民俗文化財)」の指定を受けている。
『蔡復一画像』は、金門県に住む蔡家の祖先である蔡復一(1576-1625年)という人物の肖像画。蔡家の人々はこれを代々家宝として大切に守ってきた。長年中断することなく、冬至と蔡復一の命日の年2回、蔡復一の霊を祀り、崇拝する「先祖祭祀」を行ってきた。祭祀のたびにこの肖像画を掲げていたが、頻繁に取りだすことによる損壊が懸念されるようになった。このため1990年代以降は写真をプリントアウトしたレプリカを作成し、それを掲げて祭祀を行っている。
金門県文化局は2016年、専門家を金門に招き、肖像画の鑑定を行ってもらった。桐箱に保管されていた肖像画を取り出すと、専門家たちはその技量と描かれている衣類の風格に驚きの声を上げ、国宝級とされる『鄭成功画像』に比べても遥かに年代が古く、貴重なものだとの見方で一致した。
蔡復一は字を敬夫、号を元履という。西暦1576年、福建省泉州府同安県翔風里(現・金門県金沙鎮光前里)の蔡家に生まれた。幼いころから詩文の才能があり、1594年に19歳で「挙人」の試験に合格、翌年1595年には「進士」の試験にも合格した。成績が7番目だったことから「進士出身」と称した。
蔡復一は軍事能力にも長けており、『明史』には皇帝から尚方宝剣を賜り、貴州、雲南、湖広の総督として軍政を担い、貴州の巡撫を兼務したと記載されている。ミャオ族の反乱を平定し、刑部主事を任されたこともある。その後も中国西南部に兵士を駐在させ、異民族の征伐に当たった。その功績が高く評価され、御史総督の役職を与えられた。しかし、百越の平定に当たっている際、不幸にも感染症で亡くなった。49歳だった。
明の天啓帝は蔡復一の功績を称えるため、大司馬の階級と清憲の諡号(しごう)を与えた。また、兵部尚書(現在の国防大臣に相当)の称号を追贈した。このため「四省総督、五省経略」と呼ばれている。
専門家による数回の考証により、この肖像画が完成したのは明の後期、天啓帝のころで、1625年であることが判明した。台湾各地に残る先祖の肖像画は清の後期、19世紀のものがほとんどであることから、その年代の古さがうかがえる。
文化部は今年3月、「国家重要古物」の指定に関する事前調査を行った。その際、担当した委員は「この肖像画は、中国絵画の流派のうち重要な地位を占める江南派の風格を持つ。しかも、肖像画とそのモデルとなった人物の歴史価値を十分に反映したものであり、台湾本島、澎湖、金門、馬祖に現存する最も古い、そして希少な先祖自画像の一つだ」と評価していた。