2025/06/14

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文化・社会

2,000例の肝移植を達成、陳肇隆氏が最初の手術を振り返る

2020/07/17
「アジアにおける肝移植の父」と呼ばれる陳肇隆医師(写真右)は2,000例の肝移植手術を達成。世界最高の生存率を誇るなど、世界の肝移植をリードする立場にある。(陳肇隆氏のフェイスブックより)
高雄長庚紀念医院(高雄長庚記念病院)の陳肇隆名誉院長が14日、2,000例目の肝移植手術を成功させた。陳肇隆氏は「アジアにおける肝臓移植の父」と呼ばれる。最初にアジアで肝移植を成功させたのは1984年のことだった。陳肇隆氏によれば、その時の患者は食道の静脈瘤が破裂して大量に吐血、肝性昏睡に陥って内科の集中治療室から直接手術室に運ばれた。しかし肝臓のドナーは十二指腸潰瘍で穿孔を起こしたことがあり腹腔内の癒着がひどかったため肝臓の摘出に5時間を費やした。幸いその後27時間に及ぶ移植手術を終えた患者は麻酔から覚め、肝機能も回復したのだという。
 
その時の手術では他に先駆けて脳死の定義を採用したことで各界の議論の的となり、当時の首席検察官の陳涵氏までもが関心を寄せる事態に。陳肇隆氏はなぜ起訴され、さらには刑務所送りになるかもしれないリスクを冒してまで手術に踏み切ったのか。陳肇隆氏が指摘するのは1984年がまだ「萬年国会」の時代だったこと。「萬年国会」とは総統の選出や憲法改正を担当する議会である国民大会(2005年に凍結。事実上廃止)の改選が行われず、同じ国民大会代表(議員)がずっと居座っていた時代。陳氏は、そうした議会が将来を見据えた法律を制定するとは思えず、自らが周到な準備をした上で法律の尺度に挑戦し、「脳死」の観念を切り開くしかなかったのだと説明する。挑戦しなければ、その時代に臓器移植を推進して、臓器の衰えで死にゆく人々を救うことが出来なかったのだ。
 
当時、医学界や法曹界の専門家の多くがマスコミを通じてこの手術は非合法だと批判した。陳氏は当時弱冠33歳。臓器移植の前例としては、日本の和田寿郎教授が札幌医科大学で同様の試みを行っている(心臓移植)。しかし、脳死判定のプロセスやレシピエント(臓器の提供を受ける側)の適応を疑う声が上がったほか、レシピエントが死亡したことで刑事告発され、結果的に不起訴となるまで長い時間がかかった。
 
陳肇隆氏は、台湾では欧米より厳しい脳死判定基準と判定プロセスを用いたことで、疑いの声が上がった場合、速やかにカルテを公表できたと話す。このため徐々に社会各界から受け入れられ、脳死に関するコンセンサスが形成されるようになった。当時、大手日刊紙「聯合報」の社説は臓器移植を法制化するよう主張、その社説の副題は『従長庚医院創臓器移植新猷談起』(長庚病院の臓器移植計画から考える)だった。
 
さらに重要だったのは最初に肝移植を受けた患者が無事退院できたこと。アジアで初めての肝臓移植成功例となった。それはアジア初の脳死による臓器移植の法制化へとつながった。これは日本より10年、韓国より12年早く、台湾における臓器移植医学に大きな発展をもたらした。そして3年後の心臓移植、7年後の肺移植という台湾初の試みに向けて環境が整備されていったのである。
 
初めて世界で知られるようになった台湾の外科医は国立台湾大学(台湾北部・台北市)の林天祐教授である。肝臓手術のフィンガーフラクチャー法を編み出し、40年あまり前に要請に応じて英語の教科書に文章を書いた。その時、林教授に代わって医学的なイラストを描く専門のイラストレーターがおらず、林教授は当時長庚大学(台湾北部・桃園市)の校長(学長)を務めていた張昭雄氏の推薦によって陳肇隆氏に作画を依頼するようになった。張昭雄氏は陳肇隆氏の恩師でもある。
 
当時、陳肇隆氏は3年目の研修医にすぎず、肝臓手術を見たことも無かった。イラストを描くため、肝臓解剖学や肝臓手術に関する資料、林天祐教授の論文などを読み漁った。努力することで興味もわいたという陳肇隆氏は当時ぼんやりながらも、近い将来、肝臓移植こそが肝臓外科にとって最大の成果になると感じたという。そしてこうした縁もあり、肝臓移植が、陳肇隆氏が一生をかける志になったのである。
 
1983年末、陳肇隆氏は肝臓移植の領域に踏み込むことを決意。手に入らず、売っていない手術道具は工務処や計器課と相談しながら自分たちで製作した。当時、台湾には陳肇隆氏以外に肝移植手術を見たことのある外科医、麻酔科医、看護師は1人もいなかった。このため陳氏は週末にはいつも犬や豚を使って動物実験、実際の手術を模した環境でチームを鍛えた。
 
1984年の最初の手術から10年間で行った肝移植は16例に過ぎなかったが、その後の10年間には219例の手術を行った。重点的に生体肝移植を研究し、台湾を世界のリーダー的地位に押し上げることが出来た。さらにその後の10年間で行った手術は958例。この10年間では経験の伝承と国際社会への医療支援が重点となっている。
 
1,000例目の手術は2012年に行われており、それからわずか8年で陳肇隆氏は2,000例目を達成。ただ、陳氏が追い求めるのは手術の件数ではない。高雄長庚紀念医院の肝移植チームが行った手術の5年生存率は90%以上。これは文献上、世界最高の生存率なのだという。
 
過去30年あまり、陳肇隆氏は肝移植の分野で多くの記録を打ち立ててきた。生体肝移植では世界最高の生存率を誇る医師の1人であるほか、1994年には台湾で初めて児童の生体肝移植を成功させた。1997年には世界初の輸血無しでの生体肝移植、1999年には台湾初の成人生体肝移植、2002年には華人として初めて2人から臓器の提供を受ける生体肝移植、2006年には世界初となる通常の顕微手術による胆管の再建、2013年には台湾初の第2セグメントを用いたモノセグメント生体肝移植に成功、そして2020年には2,000例目の肝移植手術を達成した。
 
陳肇隆氏は生体肝移植技術と術式の面で多くのイノベーションを実行しており、SCI(サイエンス・サイテーション・インデックス)が取り上げている学術論文は500篇以上、また国際的な医学雑誌である「American Journal of Transplantation」の副編集長、ならびに「Annals of Surgery」、「Transplantation」、「Liver Transplantation」などの学術誌で編集委員を務めている。2019年には国際肝臓移植学会(ILTS)の特別貢献賞を受賞、さらに2020年から2021年までの「国際生体肝移植学会」の会長も担当している。
 
そして高雄長庚紀念医院は今も、台湾で最大かつ最も優れた肝臓移植センターであり、生体肝移植の生存率が世界最高の病院なのである。
 
 

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