2025/05/04

Taiwan Today

文化・社会

台湾野球名人堂、今年4名殿堂入り果たす

2020/08/05
台湾棒球名人堂は4日、殿堂入りを果たした野球選手4名に対する表彰式典を開催。4名のうち、李憲宗氏(中央)と郭泰源氏(右)が出席し、日本から台湾に来られなかった荘勝雄氏と故人の呉明捷氏は、親類が代理で出席した。(中央社)

プロ野球などで顕著な活躍をした台湾の選手や指導者、野球の発展に大きく貢献した人物を称え顕彰する「台湾棒球名人堂(日本の野球殿堂に類似)」は4日、第7回の表彰者に対する表彰式典を開催した。

今回、殿堂入りを果たしたのは、日本のプロ野球でも活躍した荘勝雄氏、郭泰源氏のほか、台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」でその名を知られる嘉義農林学校野球部を準優勝に導いたエースの故・呉明捷氏、アマチュア野球界の名投手、李憲宗氏の4投手。

快速球を武器に持つことから「オリエンタル・エクスプレス」の愛称で親しまれた郭泰源氏は、日本のプロ野球チーム、西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)でプレーした12年間で通算117勝を挙げた。1984年のロサンゼルスオリンピックには、荘勝雄氏と共にチャイニーズタイペイ代表として出場、銅メダルを獲得した。1980年後半には、日本のプロ野球で活躍していた台湾出身の三選手の姓を取って「二郭一荘」と称された。二郭は、郭泰源氏と郭源治氏のこと。郭源治氏は昨年、殿堂入りを果たしている。

日本のプロ野球界でも大きな功績を残し、台湾からも栄誉を授けられた郭泰源氏は、「思いもよらなかった。殿堂入りはゴールではない。台湾野球を盛り上げていくために今後もより一層努力していく」との意気込みを語った。

一方、荘勝雄氏は1985年、日本プロ野球チームのロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。台湾出身の選手として日本プロ野球界における50勝の最短記録(4年半)を持つ。国際試合でも輝かしい成績を残しており、世界選手権において、チャイニーズタイペイチームが初めて強豪キューバチームに完投勝利をおさめた投手でもある。

現在も日本で生活している荘勝雄氏は、新型コロナウイルスの影響で台湾に戻り表彰式に出席することがかなわなかった。そのため、ビデオ映像を通じて野球界の後輩たちに、「自己の目標に向かって努力し続ければ、いつか国際舞台で、国家のために栄光を勝ち取るチャンスや競争の激しいプロ野球界で成功を収めるチャンスがあると信じている」とメッセージを送り、励ました。

そのほか、今年81才を迎えた李憲宗氏は「野球界のプリンス」と呼ばれ、何度も台湾の代表として国際試合に出場した経歴を持つ。1963年に開催されたアジア野球選手権大会では、対日本戦に登板、9回を投げ切り、引き分けとなった。これは中華民国(台湾)の代表チームが、同選手権で初めて日本に負けなかった試合となった。

もう一人の呉明捷氏は、1931年に甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)に嘉義農林学校野球部のエースで4番の大黒柱として出場し、初出場で準優勝という快挙を成し遂げた。その後、早稲田大学に進学、一塁手に転向し、打者として活躍した。1983年、病気により死去した。

台湾棒球名人堂は2014年に設立されて以来、毎年スポーツ記者や球界関係者の投票によって殿堂表彰者を選出している。今回を含めて合計28名が殿堂入りを果たしている。

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