烏山頭ダム(台湾南部・台南市)と、それを含む農水施設である嘉南大圳は1920年に着工し、1930年に完成した。着工した1920年から数えて今年は満100年となる。台南市はこれを記念し、烏山頭ダムの北側にある「八田與一(はったよいち)紀念園区」で18日、日本統治時代の台湾における灌漑システムの歴史をたどる新たな常設展「我家門前有條圳:嘉南大圳開工満百週年主題展」を開設した。
台南市文化局によると、嘉南平原(雲林、嘉義、台南など台湾中部から南部にかけて広がる平野)は100年前まで、夏に雨が多く、冬は逆に雨量が少ないことから土が乾き、豪雨や洪水、あるいは日照りによる水不足に悩まされてきた。このため、この地に暮らす農民の生活は「看天田(=不作も豊作も天の采配次第という意味)」と呼ばれるものだった。その後、1930年に烏頭山ダムと嘉南大圳が完成すると嘉南平原の農作物の生産量は激増。台湾の農業を支える主要な産地となった。
しかし、台湾各地で都市化が進むと、烏山頭ダムや嘉南大圳の持つ機能が軽視され、当然の存在のように見なされるようになってきた。いまでは嘉南平原の灌漑システムがどこから来るものなのか知らない人も多い。
台南市、交通部観光局(日本の観光庁に相当)西拉雅(シラヤ)国家風景区管理処、行政院農業委員会(日本の農林水産省に相当)農田水利署嘉南管理処は、烏山頭ダムや嘉南大圳の着工から100年を迎えるのを機に、この灌漑システムの100年の歴史の歩みを広く知ってもらうため、常設展「我家門前有條圳:嘉南大圳開工満百週年主題展」の開催を決めた。
展示エリアは烏山頭ダムの旧放水口、八田與一技師室、八田與一記念園区「動画館」の3カ所で、展示内容はそれぞれ烏山頭ダムや嘉南大圳の建設当時の写真、これらの設計を担当した台湾総督府の技師・八田與一の略歴、嘉南大圳が果たす役割の紹介など。
18日のオープニングセレモニーに出席した台南市の黄偉哲市長は、「烏山頭ダムも嘉南大圳も、嘉南平原を潤すために無くてはならない重要な存在だ。この常設展を通して、より多くの人に先人の努力を理解し、それを心に刻んで欲しい。そして、烏山頭ダムと嘉南大圳の今後の末永い発展を促していきたい」と述べた。
台南市文化局の葉沢山局長も、「展示スペースに足を踏み入れると、嘉南大圳の100年の物語を読み進めるような気持ちになる。より多くの人々が嘉南平原の歴史を知り、『吃果子拜樹頭(=果物を食べるときは、その果物がなっている樹木への感謝を忘れてはならない、という意味のことわざ)』のとおり、次の世代に烏山頭ダムや嘉南大圳のはじまりについて伝えて欲しい」と呼びかけた。