1999年9月21日に台湾中部・南投県を震源地とする大地震(いわゆる「921大地震」)が発生してから22年が経った。頼清徳副総統は21日、自身のフェイスブックで「あの日」を振り返り、「人間の温かさ、強さ、勇敢を見た。涙は乾き、傷は癒えたとしても、忘れることはない。痛みを経て生まれ変わった台湾は、より安全でより強く、より温かくなった」と書いた。以下は投稿の一部。
★★★★★
一つの逆断層型地震が、午前1時47分15.9秒に発生した。マグニチュード7.3、揺れは102秒続き、2,000人余りの尊い命を奪った。あの長くて暗い夜は、台湾の人々の心の中に消せない傷を残した。あのときの痛みと警告は、いまでもはっきりと覚えている。
1999年、私は立法委員(=国会議員)に当選したばかりだった。全国の力が被災地に集結し、あらゆる機関が救援活動に当たった。国民や慈善団体が物資を寄付し、金銭があるものは金銭を出し、力があるものは力を出して現場での救助活動に当たり、被災者への支援を行った。長くて苦しい復興の始まりだった。
あのとき台湾に対して温かい手を差し伸べてくれた人たちのことを、私たちは忘れない。トルコは一番最初に台湾へ向けて国際救助隊を出発させた。最も早く台湾入りしたのは米国、日本、シンガポールの救助隊だった。それから国連、ロシア、香港、韓国、ドイツ、イギリス、オーストラリアなどが相次いで支援の手を差し伸べたり、救助隊を派遣したり、あるいは義援金を提供するなどしてくれた。台湾が痛みと悲しみの中から復興できたのは、国民に不撓不屈の精神があったからだけでなく、国際社会から極めて大きな助けをもらったからだ。
★★★★★
頼副総統はその後、防震・防災に関する台湾の取り組みについて説明した上で、「災害のスタイルは絶えず変化している。防災や救助のシステムは永遠に完ぺきなどありえない。しかし、努力して取り組みさえすれば、国に安全を、社会に強靭性を、災害に備えを与えることができるだろう」と投稿を締めくくっている。