2025/04/28

Taiwan Today

文化・社会

「台湾のヴィーナス」発見!半世紀ぶりに『甘露水』が日の目

2021/10/15
台湾の彫刻家、黄土水による重要な大理石の彫刻作品『甘露水』(写真)は「台湾のヴィーナス」と呼ばれたが、50年近く姿を消していた。その『甘露水』がこのほどついに見つかり、文化部によって永久に保存されることになった。今年12月に北師美術館が展示する。(北師美術館のフェイブックより)
台湾の彫刻家、黄土水による重要な大理石の彫刻作品『甘露水』は「台湾のヴィーナス」と称えられてきたが、台中市(台湾中部)のどこかにあると長年伝えられるだけで50年近く実物を見た人はいなかった。その『甘露水』がこのほどついに姿を現し、文化部(日本の省レベル)によって永久に保存されることになった。文化部と北師美術館は14日、今年12月に北師美術館が開く「光―台湾文化協会百年」(仮タイトル)に『甘露水』を展示すると発表した。北師美術館は国立台北教育大学(台湾北部・台北市)に属する美術館。
 
黄土水(1895~1930)は台湾で初めて当時日本最高の美術展だった「帝国美術院展覧会」に入選した芸術家。黄土水は1920年に『蕃童』で初めて同展覧会に入選。続く1921年には『甘露水』で2度目の入選を果たした。その後、「台湾的維納斯」(台湾のヴィーナス)と呼ばれるようになった『甘露水』は台湾初の裸体の彫像で、自信に満ちた表情の女性がわずかに上を向き、胸を張ってすっくと立っている。両手は後ろにある、腰から足元まである大きな貝殻に軽く添え、光のような向上心の精神を放っている。表情はゆったりとしながら力強く、当時日本で学んでいた黄土水の、大きく発展しつつあった台湾社会に対する期待と想像は台湾の芸術史に新たなチャプターをもたらしたのである。
 
『甘露水』は翌年、平和記念東京博覧会の要請に応じて同博覧会の台湾館で展示され、日本の皇室も大いに興味を示したという。黄土水の活躍は芸術がまだ根付いていなかった台湾で、芸術の道を目指す若者たちを大いに鼓舞することになった。
 
しかし1930年、「帝国美術院展覧会」を控えた黄土水は大型のレリーフ作品『水牛群像』の制作に没頭し、過労に腹膜炎を併発して東京で死去。翌年、台湾教育会館(現在の二二八国家紀念館)が落成するにあたり、それを祝う意味合いで『甘露水』は台湾教育会館に収蔵されることになり、同記念館の収蔵品として台湾総督府旧庁舎(現在の中山堂)で開かれた「黄土水遺作展」で展示された。1958年、台湾省臨時省議会が台中市(台湾中部)に移転するに伴い『甘露水』も台中に運ばれたがなぜか台中駅に放置され、関心を示す者もいなかったという。現在の『甘露水』を見ると、洗い落とすことの出来ない黒い汚れがあるが、当時誰かが墨をかけたものと推測される。幸い数日後、『甘露水』は駅の近くの張外科診所(張外科診療所)に移され、張氏の家族によって保管されることとなった。そして1974年からは張一家所有の台中市霧峰区の工場で保管されていたのである。
 
『甘露水』は長年「封印」されていたが、黄土水が改めて注目されるようになると、人々はこの台湾の姿を代表する作品を思い出すこととなった。そして『甘露水』を人々の眼前に登場させようと、林曼麗教授が国立台北教育大学北師美術館のチームを率いて粘り強く探し続けた結果、ついに半世紀近く姿を隠していた『甘露水』が再び日の目を見ることとなった。そして今年9月6日、蔡英文総統が立ち会う中、永久に保存する作品として文化部に収蔵されたのである。
 
北師美術館では、『甘露水』の台湾の美術史に対する重要性は作品そのもののみならず、その境遇と経緯が台湾における過去100年の運命と歴史を反映していることにあると指摘している。
 
 

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