先住民族行政を担当する中央省庁、原住民族委員会は3日、パイワン族の関係者とともに英エディンバラ大学を訪問し、パイワン族の遺骨4柱の返還に関する調印式に出席した。これらの遺骨は1870年代、牡丹社事件で日本軍の関係者が持ち去ったもの。台湾の先住民族が海外の機構に遺骨返還を求めて実現した初のケースとなった。原住民族委員会は、「大きな歴史的意義を持ち、原住民族の移行期正義にとっても重要なマイルストーンとなるもの」と評価している。遺骨は4日にロンドンを出発し、5日に台湾に到着。6日午前、国立史前文化博物館南科考古館に運び込まれた。永久的な安置場所が決定するまで、同館に一時保管されることになっている。
牡丹社事件とは、台湾に漂着した日本の宮古島島民がパンワン族に殺害された「八瑤湾事件(日本での名称は宮古島島民遭難事件)」(1871年)をきっかけとして、1874年に行われた日本軍による台湾出兵に至るまでの一連の歴史事件を指す。上陸した日本軍とパイワン族の人々は、現在の屏東県牡丹郷で激しい戦闘を繰り広げた。日本軍はこのとき、先住民族10人以上の頭蓋骨を「戦利品」として持ち去ったと言われている。そのうち4柱がスコットランドに流れ着き、エディンバラ大学で保管されていた。
エディンバラ大学で行われた遺骨返還の調印式は、スコットランドで最も古い歴史を持つ音楽ホールの一つ、エディンバラ大学聖セシリアホールで行われた。また、台湾からは原住民族委員会の鍾興華(Calivat・Gadu)副主任委員、屏東県牡丹郷の潘壮志郷長、それに先住民族集落の代表、台北駐英代表処の謝武樵代表と代表処の職員らが出席した。
返還調印式の前には、パイワン族の人々が祖霊と意思疎通を図る伝統儀式も行われ、限られた人だけが参加した。
エディンバラ大学によると、同大学が保管している台湾先住民族の遺骨はこの4柱だけ。もともと日本軍が「戦利品」としていたものを、軍事顧問として台湾出兵に同行した米国軍人のJames Wassson氏が取得。その後、横浜在住の米国人医師ジェームズ・スチュアート・エルドリッジ氏や、エディンバラ出身の解剖学者ジョン・アンダーソン氏などの手に渡った。ジョン・アンダーソン氏は1887年、これを故郷のエディンバラに持ち帰った。1907年、当時のエディンバラ大学の学長で、解剖学者のウィリアム・ターナー氏はこの遺骨に関する研究論文を発表している。遺骨はその後、現在に至るまで同大学で保管されていた。