2025/04/02

Taiwan Today

文化・社会

二・二八事件で犠牲になった湯徳章を取り上げた映画『尋找湯徳章』、歴史を通して台湾への認識深める

2024/03/21
文化部は20日、台北市内の映画館で、3月15日に公開されたばかりのドキュメンタリー映画『尋找湯徳章』の特別上映会を開催した。上映会にはこの映画を制作した黄銘正監督、連楨恵監督兼プロデューサー、文化部の史哲部長(=文化相)、それに二・二八事件や白色テロの被害者やその家族らが出席した。(文化部)
文化部は20日、台北市内の映画館で、3月15日に公開されたばかりのドキュメンタリー映画『尋找湯徳章』の特別上映会を開催した。上映会にはこの映画を制作した黄銘正監督、連楨恵監督兼プロデューサー、文化部の史哲部長(=文化相)、それに二・二八事件や白色テロの被害者やその家族らが出席した。
 
この映画は、「湾生」と呼ばれた台湾生まれの日本人たちを追った『湾生回家』を手掛けた黄銘正監督と連楨恵監督兼プロデューサーが、二・二八事件で処刑された湯徳章を取り上げた最新のドキュメンタリー作品。5年の歳月をかけて、台南の「莉莉水果店」の店長である李文雄さん、記者の楊淑芬さん、湯徳章の養子である湯聡模さんなどの視点から、湯徳章の足跡とその人物像に迫った。また、ところどころに挿入された再現シーンでは、俳優の鄭有傑さんが湯徳章を演じた。
 
文化部の史哲部長は、この映画のタイトルが「尋找湯徳章(=湯徳章を探す)」であることを踏まえ、「湯徳章を探すことは、台湾人自身の境涯を探すことでもある」と指摘。「1947年に発生した二・二八事件と、1949年から1992年まで続いた白色テロは、権威主義による統治が行われていた台湾にとって最も悲惨な歴史の傷跡だ。黄銘正監督と連楨恵監督兼プロデューサーは、5年の歳月をかけて綿密な調査を重ねて撮影を行い、湯徳章という人物の人生を再現した。観客は時代の垣根を越えて、人権派弁護士であった湯徳章の強い意志と情熱を感じることだろう。監督の視点を通して湯徳章の物語を知り、この土地に残された記憶の痕跡を発掘しよう」と呼びかけた。
 
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湯徳章(1907-1947年)は台湾人の母と、警察官であった日本人の新居徳蔵(旧姓は坂井)の間に生まれた。湯徳章が8歳だった1915年、台南の玉井を中心に武装抗日事件が発生し、警察官だった父が殺害された。いわゆるタパニー事件(西来庵事件)だ。心に傷を負った湯徳章だが、成長すると父と同じ警察官になることを選ぶ。しかし、理想と現実の板挟みとなり、最後は潔く警察の職を捨て、日本へ渡り弁護士の資格を取得する。その後、故郷の台南に戻って弁護士事務所を開き、人道的な立場から社会的弱者のために正義の声を上げたと言われている。
 
湯徳章はその短い生涯の中で、林徳章、新居徳章、坂井徳章と何度も苗字を変えている。これは湯徳章のアイデンティティを反映すると同時に、時代の変遷に伴う現実でもあった。日本統治時代と国民政府時代という2つの政権の間に生きた湯徳章は、自分の運命を自分でコントロールすることができないばかりか、支配階級からも仲間として受け入れられなかった。二・二八事件(1947年2月28日に発生して台湾全土に広がった、当時の政府軍による民衆に対する流血弾圧事件)発生後、「二二八事件処理委員会台南市分会治安組長」を任され、地方の秩序維持に努めることになったが、ほどなくして軍に拘束され、1947年3月13日、民生緑園(日本統治時代の大正公園。現在は湯德章紀念公園と改称)で公開銃殺された。高等法院(=裁判所)はその死後、湯徳章の無罪判決を下している。
 
なお、台南市は2014年、湯徳章の命日である3月13日を「台南市正義與勇気紀念日(=正義と勇気の記念日)」と制定。その10周年となった今年3月13日、国家人権博物館と台南市が湯徳章紀念公園に、二・二八事件の舞台の一つであることを示す「不義遺址」の銘板を台南で初めて設置した。
 

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