また、寄贈を受けた国立自然科学博物館は、当該標本の3Dモデリングを行い、生成AI技術を用いて、タイワンウンピョウが森林を歩くリアルな姿を再現。17日の寄贈式で、「雲豹動起来」(ウンピョウが動き出す)と題した映像を初公開した。
国立自然科学博物館の黄文山館長によると、今回寄贈された動物標本127点は、嘉義分署の管理下にある阿里山博物館(嘉義県阿里山郷)が収蔵していたもの。日本政府は1935年の「始政40周年記念台湾博覧会」開催に合わせ、阿里山の動植物標本を展示するため阿里山博物館を建設した。今回寄贈された標本は、1935年の開館当初の展示品(鳥類標本114点、げっ歯類標本12点)だ。いずれも90年以上の歴史を持つが、採集時のラベルがほぼ完全なまま残されており、保存状態も良好だ。
同館生物学組の助理研究員である陳彦君氏によると、タイワンウンピョウの標本は当時の採集ラベルが欠如している。また、外観も古びており、左後肢に破損が見られるものの、その製作技術の精巧さを感じられる。また、落ち着いた姿勢、鋭い眼差しも印象的だ。
2023年に嘉義分署が国立台北芸術大学に委託して行った「阿里山博物館調査研究」プロジェクトによると、このタイワンウンピョウの標本は1935年の「始政四十周年記念台湾博覧会」の展示エリア「新高山阿里山の自然界」で展示されたものだという。
阿里山博物館は1999年の「921大地震」で大きな被害を受けた。その際、長年封印されていたウンピョウの標本も損傷していたことがのちの調査で判明した。そこで林業保育署嘉義分署(当時は嘉義林区管理処)が国立自然科学博物館に修復と保存を依頼した。当初は修復後、阿里山博物館へ返却することを検討していたが、標本が老朽化し、壊れやすくなっていたことから、最終的には国立自然科学博物館へ正式に寄贈することが決定した。
日本統治時代の資料によれば、1935年の同博覧会に出展された鳥類や哺乳類標本の多くは、当時「台南州立博物館」に勤務していた鳥類学者、風野鐵吉が収集したもので、その準備過程も詳しく記録されている。そこには例えば新種の鳥類であるチャイロウソの採集記録や、台北帝国大学によるげっ歯類標本の提供協力の状況などが書かれている。一方でタイワンウンピョウの標本の由来については明記されていない。当時、タイワンウンピョウがまだ一般的な存在であり、特別な注目を集めていなかった可能性も高い。
現在、文献に記載が残るタイワンウンピョウの証拠標本は世界に5点しかない。そのうち台湾にあるのは2点で、うち1点は国立台湾博物館に収蔵されている。1923年に日本人の動物学者、牧茂市郎が阿里山沼平で採集したものだ。もう1点は今回、国立自然科学博物館に寄贈されたもの。その他の3点はずれも海外にあり、英国のロンドン自然史博物館、独ベルリンのフンボルト博物館、日本の国立科学博物館(東京都台東区)でそれぞれ保管されている。
タイワンウンピョウはかつて「艾葉豹」、「獐虎」、「高砂豹(タカサゴヒョウ)」、「台湾虎(タイワントラ)」とも呼ばれ、古い文献にも数多く登場する。日本の資料では、1933年の時点で、半年間で20頭を捕獲したという記録がある。、主に台湾の東部や中南部の山間部に生息していたという。しかし、近年の学術調査によってタイワンウンピョウはすでに絶滅したと考えられている。現存する標本の多くが、その由来が明確でないことから、かつて台湾にウンピョウが実在したという事実でさえも懐疑的な見方があったが、今回の標本は科学研究の欠陥を補うと同時に、歴史的、文化的にも極めて重要な意味を持つものと言えるだろう。