史跡の保存の歴史からみても、「林百貨」は極めてユニークである。何故なら、現存する史跡はほとんど公共建築物で、民間のものは少なく、とりわけ商業施設の痕跡を残したものは極めてまれである。「林百貨」は台湾でも最も早く鉄筋建築を取り入れ、日本の総督府の建築技師であった梅澤捨次郎氏が設計したもので、洋館の構えでありながら、日本のテイストが取り入れられ、大変ユニークなものとなっている。5階の屋上に置かれた神社は、円柱や梁、装飾などを残し、いまでは当時の様子に完全に修復されている。
当時の「林百貨」は、百貨店として広さは現代の店舗とは比べ物にならないが、各フロアの商品のレイアウトは、ほぼ現在と一致している。5階のレストランの洋食は当時の値段で5角、当時は米一斗(約7.5キログラム)が1元6角であったから、高価なもので、上流階級の人だけがレストランを利用することができた。
1945年の日本の敗戦により、「林百貨」は廃業、前後して台湾製塩工場、空軍防砲部隊、塩務警察総隊の庁舎として利用された。1986年に台湾塩業がここから転出してから放置され、長年にわたり閉鎖されていたため、一度は「お化け屋敷」となっていた。台南市政府が2010年の1月から修復工事に着手し、来年1月末にも工事が完了すれば、80年前の人々がどのようにして百貨店巡りをしていたのか実際に体験できることになる。
(2012/11/15 聯合報)