2025/05/08

Taiwan Today

文化・社会

台湾の伝統宗教―仏教編

2013/04/19
日本の仏教寺の伝統的な木造工法で建てられた臨済護国禅寺。(文化部サイトより)

内政部の統計によると、2011年末の仏教寺が台湾の宗教寺院に占める割合は19.7%となっている。しかし、信者数に関する統計では、台湾の人口のうち35%が自身を仏教徒、33%が道教徒と見なしている。また、仏教と道教の混交も広く見られ、多くの人が自身を仏教徒であり道教徒と考えている。

仏教が台湾に伝来したのは、明朝の鄭成功の渡来より前のことである。明朝の鄭氏時代から清朝にかけ、多くの寺院で、儒教や道教、仏教、民間信仰が融合していった。清朝の仏教においては、一般的に「斎教」と呼ばれる在家仏教が生まれた。信徒は剃髪せず僧衣を着るわけでなく、世俗の人と同じ身なりをし、市井に暮らす。ただ、斎堂(道場)に住み斎奉仏を欠くことはできない。台南市に現存する安平化善堂や西華堂、報恩堂などは、当時の「斎教」の拠点であった。

日本統治時代の総督府は、台湾の現状に合わせた統治を行うため、日本の国教的な存在であった神道ではなく、仏教を引き続き広める選択をした。これは、漢民族や先住民が日本に同化する速度を速める一因ともなった。1945年の日本統治時代の終結までに、浄土真宗本願寺派や曹洞宗、日蓮宗、浄土宗といった日本から伝わった宗派が比較的よく広まった。

当時の日本の仏教は、台湾の仏教寺のスタイルにも影響を与えた。日本の仏教寺の伝統的な木造工法で建てられた寺には、代表的なものに日本の禅師、梅山得庵(玄秀)が開き、1911年に落成した臨済護国禅寺(台北市円山地区)がある。山門や大雄宝殿(本堂)など、すべて日本の江戸時代の典型的な仏教寺の建築物である。台湾で唯一、「護国」の字を冠した仏教寺であり、南北朝を模したものとしてはほぼ唯一、かつ保存状態のよい木造の寺である。

さらに、曹洞宗はかつて、石の観音像33体を、台北の観音山の参道に置き、「礼仏古道(入り口は現在の新北市凌雲路3段41号そば)」とした。この「台北西国三十三所霊場」とも言われた道は、整備されてから長い年月を経て、現在残っている仏像は20体から23体程度になっている。ただ、人によって目にする数が違うことでかえって、登山客や山歩きを楽しむ人々などが観音像を訪ね歩くことになり、観音山の新たな楽しみ方となっている。

戦後、台湾は国民政府の時代に入った。それに続く1950年代、国共内戦や中国共産党が仏教の布教を禁じたといったことを受け、仏教は1980年代中期から、あらためて台湾で広がりをみせた。現在は、中国大陸から伝わった大乗仏教が、仏教における新たな主流となっている。よく知られている仏教団体に、高雄市を総本山とする仏光山、新北市の法鼓山、台湾東部の花蓮から広まった慈済、台湾中部の南投県の中台禅寺などがある。

ランキング

新着