2025/05/02

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台北市の古跡、閻錫山旧居の修復が終わり20日に公開へ

2018/01/18
台北市の陽明山の閻錫山旧居(写真)は中庸の儒家思想、日本及び西洋の美学、軍事的要素が建物に取り入れられたもので、台北市が2003年に古跡に指定した。20日から公開される。(中央社)
台湾北部・台北市の陽明山永公路にある閻錫山将軍の旧居は中庸の儒家思想、日本及び西洋の美学、軍事的要素を建物に取り入れており、故閻錫山将軍によって「種能洞」と命名された。台北市は2003年に市の古跡に指定している。
 
「山西王」と呼ばれた閻錫山は中国大陸の山西地方を38年間治めた。中国同盟会による清朝への抵抗、辛亥革命、中華民国の建国、中華帝国(1915年12月12日~1916年3月23日)、中原大戦(蒋介石氏と軍閥の戦い、1930年5月~11月)、国共合作、抗日戦争、国共内戦を経て1949年に国民政府と共に台湾に移住。その後は陽明山で長く暮らした。近代史における重要な人物の1人で、1960年5月24日に台北で死去。享年78歳だった。
 
閻錫山は晩年、故郷を懐かしむと共に防衛上の必要性に基づき、約50名の部下と共に淡水河の河口及び台北盆地を見下ろせる、風除けの山の傾斜地を選び、石造りの「種能洞」と「紅磚屋」を建設した。
 
「種能洞」は山西地方の窯洞建築を採用。中国、日本、西洋の建築様式の特徴を融合しており、建てられた年代、規模とスケールの面で一般の古跡と大きく異なる。また、「種能洞」は閻錫山旧居の本来の名称で、閻錫山自身が命名した。彼が宇宙の変化を観察したという「宇宙観」を表現している。台北市文化局は2003年に市の古跡に指定。近くには閻錫山墓園があり、2010年に同じく市の古跡となっている。
 
閻錫山旧居は20日から一般公開される。参観には予約が必要で、参観する時間は固定されている。平日は8時20分、10時30分、午後5時40分。休日は午前8時10分、午後5時40分。住所は台北市士林区永公路245巷34弄273号。
 
 

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