2025/05/12

Taiwan Today

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戦地で人と支え合う=大膽島で戦った霊犬「茜露」とニワトリの「神鶏」

2018/06/08
1954年から「前線中の前線」である大膽島に勤務したシェパード、「茜露」は夜間に上陸した中共人民解放軍の兵士3人を撃退するなど台湾の防衛に貢献した。また、「神鶏」は砲撃を「予知」することで兵士たちを守った。島にはそれぞれその功績を記念する墓園が作られている。写真左は「神鶏」、右は「茜露」の墓。(中央社)
軍隊にいる動物たちはしばしば、兵隊たちの退屈な生活を癒してくれる他、夜の巡邏の良いパートナーである。金門県を構成する島の1つである大膽島(かつては「大擔島」と表記)は、中国大陸側と戦っていた時代には「前線中の前線」だった場所。そしてこの最前線を守った部隊の元兵士たちが「茜露中尉」の勇ましい活躍を忘れることはない。
 
「茜露」はジャーマン・シェパードで1950年6月に生まれ、1954年に大膽島に配属された。大膽島では断崖や岩の隙間など、兵士にとって死角となる場所での捜索や警戒任務を担当した。1955年、海を渡った中共人民解放軍の兵士3人が闇にまぎれて大膽島の小虎山に上陸した。これに気付いた「茜露」は1頭で3人に対抗し、奮戦の末、2人を殺し、1人に重傷を負わせて任務を果たした。この勇敢な行いはたちまち兵隊たちの間で知られるようになり、大膽島を訪れた重要な客人はみな、「茜露中尉」の勇ましい姿を一目見ようと先を争った。
 
「茜露」は1970年2月に病死。20歳近くとなっており、「狗瑞」(「狗」は犬のこと。「人瑞」は100歳以上になった人を指す)と言える長寿だった。兵士たちは「茜露」が軍に尽くした功績を記念するため、1974年に同島の大虎山の傍に「茜露墓園」を建てた。
 
大膽島にはまた、「神鶏(神のニワトリ)」もいた。「神鶏」は体重3㎏ほどの雌鶏で毎日卵を産んだ。「勤務地」は大膽島の北山。「八二三砲戦」の間、「神鶏」は敵の砲撃の直前になるといつも羽を広げて鳴き、基地内を駆け回った。兵士たちはそれを合図に避難するようになり、損害が抑えられたという。「八二三砲戦」とは、1958年8月に金門県と中国大陸側の間で始まった砲撃戦のこと。「神鶏」が1960年1月に死ぬと、兵士たちは翌1961年、その「早期警戒能力」に感謝して「神鶏之墓」を建てた。また1965年にはさらに彫像を設置してその功績を記念している。
 
大膽島は「離島中の離島」。対外的に開放されていなかったため、「戦地の秘境」という神秘のベールに包まれていたが、「八二三砲戦」から60年となるのを記念していよいよ公開されることになった。まず7月26日に観光客を試験的に受け入れる。大膽島は国防の面で歴史上きわめて重要な役割を果たした。1950年の「大膽島大捷(大膽島での大勝利)」は中華民国軍が中共人民解放軍を撃退した代表的な戦いだった。公開にあたっては予約制を採用、1日の上陸人数は300人に制限される。大膽島の面積は約0.79㎢。金門県最大の島である金門島からは約1万2,000m離れているが、中国大陸側の廈門島からは約4,400mの距離にある。
 
 

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