2025/06/14

Taiwan Today

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高雄市を流れる河川、愛河の名称はどこから?70年前の誤報と関係が

2018/11/23
愛河は台湾南部・高雄市を訪れる人にとって代表的な観光スポットの一つである。そしてそのロマンチックな名前により、ここは恋人たちのデートに欠かせない場所となった。しかし、この美しい名前は70年前の新人記者によるある誤報によって生まれたものなのである。(聯合報 謝梅芬撮影)
愛河は台湾南部・高雄市を訪れる人にとって代表的な観光スポットの一つである。そしてそのロマンチックな名前により、ここは恋人たちのデートに欠かせない場所となった。しかし、この美しい名前は70年前の新人記者によるある誤報によって生まれたものなのである。
 
高雄市を流れる川、愛河がその姿を現したのは明清時代(1368年から1912年)。それまで愛河は海の底にあり、高雄港の海と一つになっていた。その後、地殻変動によって愛河は地上に登場したのである。昔、地元の人たちは愛河を「打狗川」と呼んだ。日本占領時代に、「打狗」が発音の似た「高雄」に改められるに伴い、「打狗川」も「高雄川」にその名を変えることになった。日本はそれから高雄港を整備、さらに「高雄川」の川底を掘り下げて運輸機能を持たせたことで、現在の愛河の姿が形成された。そして川の名前も「高雄川」から「高雄運河」へと改称されたのである。
 
1948年、高雄市民の陳江潘さんは現在の中正橋付近で観光客にボートを貸し出す商売を始めた。店の名前は詩人の呂筆氏に命名してもらった「愛河游船所」。店にはこの看板が掲げられていたが、ある日、台風が通過すると強い風雨のため看板にあった文字が一部外れてしまい、「愛河」という二文字だけが残った。
 
その後まもなく、ここで恋人同士の入水自殺事件が発生。近くには2人が自殺を決意した遺書が残っていた。この事件の取材を担当した「新生報」の林記者は、看板にある文字を川の名前だと誤解し、記事の見出しを「愛河浮起艶屍一具(愛河に美しい女性の遺体)」とした。他の新聞社もこれに倣って誤った名称を使用したことで、「愛河」という名が広く伝わるようになったのである。
 
1968年、当時の高雄市長、楊金虎氏は蒋介石総統(当時)の夫人、宋美齢女史の誕生日を祝うため、「高雄運河」という河川名を「仁愛河」に改めた。しかし、愛河という名称を使う人が増え続けたため、高雄市議会は1992年に民意に従う動きに出た。当時の高雄市議会議員、陳武勲氏による提案が議会を通り、河川名は正式に「愛河」に決定、その後、愛河という名はずっと親しまれているのである。(聯合報より)
 
 

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