2025/06/26

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中華の茶文化を愛する故宮の元研究員、廖宝秀さん

2019/02/15
国立故宮博物院(台湾北部・台北市士林区)器物処の研究員だった廖宝秀さんは、40年近くに渡って趣味のお茶を楽しみながら、陶磁器の研究を続けてきた。「故宮で働けたことは、私にとって非常に幸せなことでした」と語る。(聯合報、陳立凱撮影)
国立故宮博物院(台湾北部・台北市士林区)器物処の研究員だった廖宝秀さんは、40年近くに渡って趣味のお茶を楽しみながら、陶磁器の研究を続けてきた。古い文書、絵画、器物、清朝の宮廷の収蔵品を記載した冊子などの中から、中国5,000年に及ぶ茶器と茶事の歴史を系統化した。「故宮で働けたことは、私にとって非常に幸せなことでした」と語る。
 
日本の関西大学で美術を学んだ廖宝秀さんにとって、器物の用途、その美しさなど、いずれも本能的に身に沁み込んでいる。いまでは台湾だけでなく対岸の中国でも中華茶文化の権威とされる。しかし本人は「私は茶文化という大きな分野の中で、茶器という小さな部分を研究しているにすぎません」と謙そんする。
 
子どものころから家でお茶を飲む習慣があった。日本留学時代には日本の茶道に触れた。陶芸や陶磁器に関する展覧会に頻繁に通った。台湾に戻り、国立故宮博物院に入ってからも、やはりこの分野に特別な関心を持っていた。しかも幸いなことに、古代の茶道具といえば陶磁器が大部分を占めていた。
 
故宮に入ったとき、最初の仕事は日本語のガイダンスを行うことだった。それから40年近く、廖宝秀さんは故宮の文物の整理、点検、研究を通して、2万点以上の陶磁器に実際に触れてきた。「美しいものは心も目も楽しませてくれますし、気分も非常に良くなります。しかし同時に、大きな緊張感もあります」と話す。
 
「誰もが恐れと不安を持ちながら、故宮の文物と向き合います。なぜならそれは、私たちの先祖が残してきたもので、数千年の歴史を持つ文化であり、これからも伝えて行かなければならないからです」と話す。特に地震のときは、「昨日整理したあれらの文物はきちんと保存しただろうか?しっかりと固定しただろうか?」と不安な気持ちに駆られるという。
 
最も印象に残っているのは2002年に企画した「也可以清心-茶器・茶事・茶画」と題する展示だ。準備と研究に1年半の歳月を費やした。故宮が収蔵する陶器、玉器、青銅器、琺瑯(ほうろう)など膨大な文物の中から、「茶器」を選別したことなど一度もなかったからだ。清朝の宮廷にあった文物は、なんらかの理由によって、例えば「茶碗」や「茶鍾」などの名称のうち、1文字が欠けて「碗」の文字しか残ってない場合がある。そうすると、それがご飯をよそう茶碗だったのか、スープを入れるものだったのか、またはお茶を注ぐものだったのか、判断することができない。
 
廖宝秀さんは1991年に『従考古出土飲器論唐代的茶文化』を、1996年に『宋代喫茶法與茶器之研究』を執筆した経験があることから、唐と宋の時代の文物については問題なく判断することができた。しかし、明と清の時代の茶器は判断が難しかった。廖宝秀さんは清朝の宮廷が収蔵する文物をリストアップした「陳設档案帳冊」(記載された文物はすべて皇帝の寝室や執務室として使用されていた乾清宮の端凝殿に保管されており、その後、これらはすべて台湾に持ち込まれた)の記載内容と、1924年に清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀が宮廷を出たあと、清室善後委員会が文物を点検した際に作成した『故宮文物点査報告』を対比させながら、実物と記載内容を一つ一つ照らし合わせる作業を行った。
 
この作業の結果、口径12㎝のものは「茶碗」、口径9~10㎝のものは「茶鍾」、口径8.5~8.7㎝のものは「茶杯」であると定義することができた。「故宮で働いていると、こういう良いことがあるのです。実物も文書もここにはあるからです」、「対比作業はもちろん非常に手間がかかりますし、間違いがあってはいけません。しかし、実物と対比することによって、根拠となる正確な判断基準を提供することが出来るのです」と廖宝秀さんは話す。
 
故・秦孝儀(1921-2007年)氏が故宮の院長を務めていたとき、故宮の一角に古代中国の書斎をイメージした茶館「三希堂古典茶座」をオープンさせた(すでに閉店)。廖宝秀さんもこれに関わった。「お茶を楽しむ文化を台湾で盛り上げるために、故宮も少しばかり貢献できたと思います」と振り返る。
 
子どものころから父親がお茶を飲むのを見てきた。使っていたのは大きな急須で、長く浸した茶葉からは渋みが出ており、子どもにとっては決して美味しいものではなかった。しかし、1980年代に入って、台湾で「茶芸館(台湾の作法で台湾茶を楽しむ喫茶店)」が流行するようになると、大学を卒業したばかりの廖宝秀さんも流行に乗って、たびたび「茶芸館」に行ってお茶を飲みにようになった。こうして、お茶を飲むことへの関心が高まっていった。
 
いまでは白毫烏龍茶、白茶、中国の岩茶など、どれも大好きだ。「どの種類のお茶にもいいところがあります。お湯の温度、時間、茶葉の分量が適切であれば、良いお茶を淹れることは難しいことではありません」、「お茶も茶器もどちらも大切です。よい茶器があっても、良いお茶がなければ、お茶の味はダメになってしまいます」と語る。
 
現在、台湾と中国の両方で講演や授業を行なったり、講座を開いたりしている。そうする中で、お茶は決して「古いもの」ではないと思うようになった。若い人も同じように楽しむことができるし、お茶をたしなむ団体が開く茶会も増えている。「あの雰囲気、茶席の美しさなどが、お茶を学び、お茶を愛し、茶器を愛でる若い人たちに影響を与えるのです。お茶を好きになれば、お茶のゆったりとしたペースや奥行きの深さを自然と理解することが出来るでしょう。そして、もっとこの文化や芸術を理解し、お茶について学びたいと考えるでしょう。そればかりか、美学や茶器の鑑賞についてより多くのことを学ぶことが出来るでしょう」と語る。
 
中華の茶文化は広く、そして奥深い。廖宝秀さんは最後に「研究すべきことが多すぎて、一生かけても研究し尽くすことが出来ないでしょう」と感慨深げにつぶやいた。
 

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