台湾の歴史学者、胡川安女史の著書『和食古早味:你不知道的日本料理故事(懐かしの和食:あなたの知らない日本料理のはなし)』によると、台湾を拠点に清朝打倒を目指した明朝の遺臣、鄭成功の弟は日本に残り、その子孫は代々、長崎で唐通事(中国語の通訳)を務める家柄だった。日本初の喫茶店「可否茶館」は、その末裔である鄭永慶が明治21年(1888年)に東京で開業したものだという。
鄭永慶は若いころ米エール大学で学び、その後、英ロンドン、仏パリで生活。帰国後は、家業である通訳事業を継がず、西洋で見たコーヒー店を日本に導入することにした。
当時、西洋諸国の喫茶店は、多くの知識人が集まり、議論したり新たな知識を分かち合ったりする場だった。鄭永慶は、日本にもこのような新たな文化的空間が必要だと考え、「可否茶館」に雑誌や書籍、それに西洋の珍しい娯楽用具などを置いた。しかし、残念なことに当時の社会は閉鎖的で、かつ鄭永慶自身が経営に不慣れだったことから、最後は破産して店をたたむことになったという。