著名な物理学者であり、国立清華大学(台湾北部・新竹市)の校長(学長)を務めたことでも知られる沈君山氏が12日午前、台湾北部・新竹市内の病院で亡くなった。沈君山氏は1932年8月29日生まれ、86歳だった。
沈君山氏は国立台湾大学(台湾北部・台北市)で物理学を学んだ。卒業後は米国に渡り、メリーランド大学で博士号を取得。その後、パデュー大学で教鞭をとった。1911年に中国大陸・北京で創立された清華学堂を前身とする清華大学が1956年に台湾で復興した際、台湾大学を卒業したばかりの沈君山氏は、当時全校に4人しかいなかった正規職員のうちの1人として働いた。その後、渡米し、1973年に本格的に帰国した後は、まず清華大学物理系(=物理学部)で教え、同時に清華大学理学院院長(1973-1979、1984-1987)に就任した。その後も人文社会学院籌備委員会主任委員(1982-1984)、生命科学院籌備委員会主任委員(1987-1988)、共同教育委員会主任委員(1987-1988)などを歴任。1993年に精華大学で初の学内選挙によって選ばれた校長となった。翌年の1994年に就任し、1997年までの在任中は「通識教育(=教養課程)」の発展に力を入れ、さらには理工学系が強いことで知られる清華大学を、人文社会や芸術分野の人材育成にも強い大学へと転換させた。
沈君山氏は、学術界で重要な書籍を多数出版、翻訳したほか、作家としても多くの作品を残した。特に天文学の知識を多く台湾に紹介したことでも知られている。台湾の初期の天文学研究は、沈君山氏が台湾に紹介したものがほとんどだ。
沈君山氏はまた、トランプゲームの一種であるブリッジや囲碁もこよなく愛した。囲碁についてはアマ六段の腕前を持っていた。米国留学中は3年連続、アメリカ本因坊戦で優勝した記録を持つ。1987年には、7歳にして天才棋士と呼ばれていた張栩さん(現在は日本で活躍)と対戦。その腕を見込んで、張栩さんを「義子(法律とは関係なく、契りを結んだ義理の息子)」とすることを決めた。
また、財界で活躍するリーダーを中心に構成される「清華之友」が1995年、大学側と寄付について話し合ったとき、その場にいた聯華電子(UMC)の曹興誠董事長(=会長、Robert Tsao)が、当時校長を務めていた沈君山氏に囲碁の試合を申し出た。曹興誠董事長は、盤上の碁石の差をもとに、1子(いっし)につき1万寄付することを約束した。沈君山氏はこの1万を1万台湾元(約3.6万日本円)だと思っていたが、あとになってこれが実は1万米ドルだということが判明。勝負の結果、沈君山氏は50子の差により、清華大学のために1,500万台湾元(約5,400万日本円)の寄付を獲得したというエピソードがある。
囲碁を愛し、清華大学を愛した沈君山氏は2006年、「1956年から清華大学と縁を持ち、1973年に本格的に台湾に帰国してから33年間が経った。今後もここを離れることはないだろう。新竹市にある清華大学には特別な思いを抱いている」とし、大学内に「奕園」と名付けた囲碁をテーマにした公園を作るため私財を投げ打つ意向を示していた。しかし、その後、沈君山氏は脳卒中で倒れてしまった。沈君山氏の家族は、氏の米国での年金を大学に寄付し、歴代3人の校長と各方面の努力の末、ついに「奕園」は2013年に完成した。
清華大学は13日から17日まで、毎日午前9時から午後5時まで「奕園」を一般開放する。芳名帳を用意しており、訪れた人々が名前を記入できるようにするという。
なお、国立中央大学天文研究所(台湾北部・桃園市)が管理する鹿林天文台(台湾中部・南投県)は、かつて同天文台が発見した小惑星「登録番号202605」を、2009年に「Shenchunshan(沈君山)」と名付けた。沈君山氏は地球上から姿を消したが、その名前はこれからも宇宙において輝き続けるだろう。