台湾におけるテレビ番組の最高栄誉である「電視金鐘奨」(ゴールデン・ベル・アワード)のミニドラマ部門主演男優賞を受賞したことで知られる俳優の呉朋奉さんが24日、自宅で亡くなっているのを親族によって発見された。死因は脳卒中と見られている。55歳だった。
呉朋奉さんは、いわゆる「外省人二世」。中国大陸の福建省詔安出身の父親が1950年、国民政府とともに台湾へやって来て結婚し、呉朋奉さんが生まれた。しかし、呉朋奉さんが8歳のときに両親が離婚。呉朋奉さんは父親に引き取られ、台湾北部・新北市三重で育った。高校時代、全日制を辞めて定時制に移り、兵役を終えた後は印刷工場で品質管理の仕事に就いた。しかし、同僚たちの「労働者の権利」を守るため、「労基法」に基づき毎年何日の休みを取得すべきか工場内で宣伝したことが経営者に見つかり、すぐに解雇されてしまった。
その後、劇団「零場121.25」に入団。周逸昌団長の影響を受け、役者として生きる道を選び、民間技芸である「車鼓」、「番婆弄」、「鼓花」、「家将」、「太極拳」などの訓練を受けた。こうした多くの経歴が活き、呉朋奉さんの自然体の演技が生まれた。それはまるで役が憑依したかのような説得力を持つ演技であったため、舞台、映画、テレビのどれにも対応し、どんな役でも演じることが出来た。
過去に「優劇場」、「河左岸劇団」に参加したことがあり、1996年には「江之翠南管楽府劇団(Gang-a Tsui Theater)」の『一念萬念』の演出を手掛けた。この作品が仏パリで開かれたダンスのビエンナーレに招待されたことをきっかけに、欧州各地を半年間放浪したこともある。
1999年には劇団「金枝縁社」の『群蝶』の演技指導を引き受けた。同劇団の副監督も兼任し、その後も『台湾女俠白小蘭』、『可愛冤仇人』、『羅密欧與茱麗葉』、『祭特洛依』、『浮浪貢開花』など代表作の演出を手掛けた。同時に俳優としても舞台でも活躍し、多数の作品に出演。役柄はさまざまで、古典劇から現代劇まで幅広く演じた。
呉朋奉さんは映画『双瞳』、『深海』、『詭絲』、『最遥遠的距離』、『愛的発声練習』などで監督としても活躍した。映画『牆』や『海角七号(邦題:海角七号 君想う、国境の南)』では俳優と演技指導を兼務した。
2008年にはテレビドラマ『木棉的印記』で第43回「電視金鐘奨」(ゴールデン・ベル・アワード)のミニドラマ部門主演男優賞を受賞した。2020年には映画『父後七日(邦題:父の初七日)』で、中国語映画のアカデミー賞とされる第47回金馬奨(ゴールデンホース・アワード)の助演男優賞を受賞した。2011年の第13回「台北電影節(=台北映画祭、台北フィルムフェスティバル)」では『帰途』で主演男優賞を受賞、2019年第54回「電視金鐘奨」では『第一響槍』でミニドラマ部門主演男優賞を受賞。「金鐘奨」、「金馬奨」、「台北電影節」の三冠を達成したことから「三金影帝」と呼ばれる俳優となった。
呉朋奉さんはかつてメディアの取材に対し、文芸かぶれだった30代のとき、実際に詩を書いて新聞に投稿していたと明らかにしたことがある。しかも、書いていたのは台湾語の詩だったという。こうした詩は新聞の文芸欄に掲載されたほか、呉朋奉さんが演じる作品の中でセリフとして出現することもあった。最も印象深いのは映画『父後七日』の中で出てくるセリフだ。道教の「道士」を演じた呉朋奉さんが自作の詩だと言って「我幹天幹地幹命運幹社会、你又不是我老爸、你給我管這麼多?(=俺は天にも地にも運命にも社会にも立ち向かってきた。俺のオヤジでもないのに、なんでそんなに俺に構う?)」と書かれたノートを見せるシーンがある。力強い視線や覇気のある態度など、映画全体を代表するワンシーンだと言われている。
2年前からはバンド「茄子蛋楽団(EggPlantEgg)」のミュージッククリップの撮影を手掛け、『浪子回頭』、『浪流連』などが動画配信サイトYoutubeで大きな反響を呼んだ。マルチな才能が評価されてさまざまなオファーがあったが金銭や名利を求めることはなく、「生活に困らない程度のお金があれば良い」という考えだった。
「作品を作ることがどれだけ重要かだとか、どれだけすごいかなどは考えない。人生は海のようなもの。残るものは残る。残らないものは流されていくだけ。生きているだけでいい」―呉朋奉さんの生前の言葉である。