台湾や日本における上下水道整備に尽力し、近代上下水道の父とも呼ばれる英国人技師、ウィリアム・バルトン(William Burton)氏の多大なる貢献を称え、台湾、英国、日本は30日に共同で、台湾北部・台北市の自来水園区に再建されたバルトン氏銅像の除幕式を行った。台湾治水工学の権威、国立台湾大学の李鴻源教授は、バルトン氏について「近代台湾の上下水道及び治水施設の礎を築いた」とし、異国の上下水道整備に命を懸けて全力を尽くした貢献を称え、ぜひ同園区に設置されたバルトン館を訪れ、賢人への知識を深めてほしいと語った。
バルトン氏は1896年に日本から台湾へ渡った。公衆衛生や疾病予防という概念を都市建設に導入し、近代の上下水道システム計画を構築した。1899年、病により東京で急逝。日本統治時代、総督府によって台北水道水源地(現在の台北自来水園区)にバルトン氏の銅像が建てられ、1919年3月30日に除幕式を行ったが、戦時中に銅像は壊された。今回、日本下水文化研究会がバルトン氏の銅像再建のために奔走し、台湾の彫刻家、蒲浩明氏が歴史的検証に基づき銅像の再建を行い、102年前と同じ3月30日に再びお目見えした。
台北自来水事業処は30日、「バルトン氏の貢献100周年記念ー台日英共同による銅像再建除幕式」式典を開催した。李鴻源教授のほか、台北市の柯文哲市長、日本と英国の代表が出席し、銅像をお披露目した。同時に日本にいる出席者はオンラインでリモート出席し、台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表(駐日大使に相当)から、バルトン氏の玄孫(やしゃご)と日本下水文化研究会へ「飲水思源」にちなんで、贈り物が贈られた。「飲水思源」は中国語の成語。直訳すると「飲んでいる水がどこから来たかを考える」となるが、転じて幸福の源がどこにあるかを忘れてはならないという意味で使われる。
李鴻源教授は、「バルトン氏が台湾に渡ってから、台北市内に当時の東京以上の下水道設備を構築しただけでなく、台湾全土の治水設備計画の基礎を築いた。惜しくも3年後に病気で亡くなったが、その後は、バルトン氏の教え子で日本統治時代に台湾において上下水道整備を手がけた浜野弥四郎氏が23年にわたって同計画を引き継いで進めた。さらに八田與一氏が浜野氏から学んだ経験を生かして、嘉南大圳烏山頭ダムを建設し、バルトン氏の教えが脈々と受け継がれ、台湾における公衆衛生概念や治水設備が完成した」と述べた。