政治弾圧「白色テロ」で政治犯として10年間投獄され、その後は台湾の本土漫画の発行や人権教育者として活躍した蔡焜霖さんが3日夜に亡くなった。92歳だった。訃報に接した文化部の史哲部長(=文化相)は、「国家人権博物館で長年、人権教育の普及に参与してもらい、台湾でかつて行われていた白色テロの歴史と、民主主義が得難いものであるということを若い世代に知ってもらうために取り組んでもらった。台湾の人権や文化の発展に大きな貢献をした」とコメントしてその死を悼んだ。
蔡焜霖さんは日本統治時代の1930年、台中清水で生まれた。台中一中(現在の台中市立第一高級中等学校)を卒業後、当時の台中県清水鎮公所(=役場に相当)で事務員としての職を得た。しかし1950年、情報当局から「省工委台北電信局支部張添丁等人案」に関与したとして拘束され、懲役10年を言い渡された。翌1951年に緑島の「新生訓導処」に送られ、1960年になって出獄。獄中で「緑島再反乱案」(1954年)に遭遇した蔡焜霖さんは、処刑された獄中の仲間を思い出すたびに、フランスの作家ミラン・クンデラが残した「権力に対する人間の闘いとは忘却に対する記憶の闘いにほかならない」という言葉を引用するなど、1950年代の台湾に生きた正義感をもった政治被害者たちを、台湾の社会が忘れることがないようにと願い続けた。
10年間の獄中生活を経た蔡焜霖さんは、その後、翻訳や出版の仕事に心血を注いだ。1966年には半月刊の児童雑誌『王子』を、1984年には女性月刊誌『儂儂』を創刊。そのうち『王子』は、国民党の独裁政権下で出版物に厳しい制限が設けられていた時代において、「漫画の掲載が雑誌全体の20%を超えなければ審査に出さなくてもよい」という規定を逆手に取ったもので、台湾の漫画文化のために創作の空間を守った。蔡焜霖さんは『王子』に、日本漫画の翻訳や日本の漫画を参考にした台湾漫画、小説などを多く掲載。漫画を通して日本に関する情報や、当時の日本の画風や作風などを台湾に伝え、台湾の漫画文化をはぐくんだ。『王子』は当時、多くの若い読者が世界を知るための読み物となった。こうした貢献が認められ、文化部から第9回「金漫奨」特殊貢献賞が与えられたほか、2021年には「台湾における日本文化の紹介及び相互理解の促進」に大きく寄与したとして日本政府から「旭日双光章」を授与された。
蔡焜霖さんの数奇な半生を描いた自伝的漫画『來自清水的孩子(邦題:台湾の少年)』は、台湾だけでなく、日本の読者からも大きな反響を得ている。