頼清徳総統は5日午後、旧林義雄宅、現台湾長老キリスト教会義光教会が移行期正義における意義ある現場として指定されたことで、その案内表示板を掲げるセレモニーに出席した。総統府の姚嘉文資政、文化部の李遠部長(大臣)、張雅琳立法委員、呉沛憶立法委員らが出席した。
義光教会は、かつては林義雄氏(民進党主席も務めた元立法委員で、台湾の民主化運動において大きな影響力を与えたとみなされている人々の一人)の自宅で、1980年2月28日に発生した「林宅血案」(林義雄母子惨殺事件、林義雄氏の母と双子の娘が殺害され、長女も瀕死の重傷を負った)の現場。「美麗島事件」として知られる、1979年12月10日の世界人権デーに高雄で行われたデモにおけるデモ隊と警官隊との衝突において、多くの逮捕者が出たところ、これに関わったとして逮捕勾留中の林義雄氏が不在時の出来事だった。事件直後の捜査や、民主化後に行われた調査でも真相は明らかになっていない。
頼総統のスピーチの概要は次のとおり。
これは歴史的な事件の現場を保存するというだけではなく、国として勇気を持って歴史に向き合い、痛みを心に刻み、ここからさらに民主主義を深める大事な瞬間である。46年前の2月28日に発生し、台湾全土と国際社会を震撼させた、「林宅血案」は、林義雄氏とその一家だけでは抱えきれない痛みを与えたのみならず、権威主義政権による人権侵害として、台湾の最も暗い一面で最も重い傷でもある。
このセレモニーを通じて、義光教会は台湾で初の、民間による申請が認定された「移行期正義における意義ある現場」となった。1996年に台湾の人々により初めて自らの総統が選ばれようとしたとき、当時はこの直接選挙が中国を挑発し戦争を引き起こすのではないかと言う人もいたが、台湾の人々はひるむことなく、神聖な一票を投じた。そしてその背後にはミサイルの脅威にも臆することのない人々の心があったのである。
これは台湾の人々の物語であり、一つ一つの選択が台湾の未来を決めてきたのである。もし台湾の民主化運動が、「林宅血案」により停滞していたならば、権威主義の専制政治という暗黒の時代を抜け出すことはできなかった。もし30年前に中国のミサイルに屈していたならば、総統を選ぶ直接選挙が成功することはなく、台湾が主権在民で、独立した主権を有する国家ではありえなかった。
勇敢な台湾の人々は、権威主義の統治や、外の強権的勢力に直面しても一貫して屈することはない。それは、当時の信念と堅持こそが台湾をアジアで最も自由で民主的な国の一つたらしめ、また世代を越えて民主主義的価値を守ってきたことこそが、台湾の経済に驚異的なレジリエンスをもたらし、台湾が世界の発展の中で欠かせない重要な役割を担うことができるのである。
台湾はすでに権威主義体制から抜け出したが、外にある敵対勢力は認知戦を通じて台湾の歴史を捻じ曲げ、彼我の境界を混同させ、さまざまな方法で台湾に浸透し、台湾内部の分裂を利用して対立と混乱を仕立て上げ、民主と自由に対する台湾の人々の信念を削ごうとしている。
いま、一部には、権威主義に妥協することで国防の強化は不要になるだとか、台湾の国防や自己防衛の強化が権威主義に対する挑戦とみなされるだとか、権威主義と握手をして妥協し主権を放棄することで平和に換えることができるとまでいう人がいる。しかし、歴史はとうの昔から、真の平和とは権威主義に頭を下げたりこれに妥協したりすることで手に入るものではないと教えてくれている。
このような状況に直面し、最良の防衛策とは、歴史と共通の記憶にしっかり向き合うことである。歴史の真相が明白であればあるほど、他者に操られることはなく、共通の記憶がクリアであるほど分裂することはなくなる。
文化部には今後も民間との協力を通じ、権威主義体制の時代に人権侵害が行われたより多くの現場を、移行期正義における意義ある現場として保存し、講座や展示、映像などを通じて公との対話を進め、公民教育のスペースとし、台湾の民主を守るパワーを結集させることを期待したい。
最後に、すべての勇敢な主権者、勇敢な台湾の人々に、台湾の今日の繁栄をもたらしてくれたことをあらためて感謝し、また、これからも同じように勇気を持って、人権と正義を追求し、大事な民主と自由を守っていこうと皆に呼びかけたい。