台湾の人々はかつて長粒種のインディカ米を栽培していた。もともと台湾にあった米ということで、これを「在来米」と呼ぶ。一方、日本人が好んで食べる短粒種のうるち米、つまりジャポニカ米は日本統治時代に台湾へ導入された。しかし、ジャポニカ米は熱帯気候に適応するのが難しく、現地での育成や品種改良に長い歳月を要した。そして、ようやく台湾でも生産できるジャポニカ米の品種、例えば「中村種」や「台中65号」などが育ち、1926年にこれらを総称して「蓬莱米」と命名した。
蓬莱米命名100周年にあたり、農業部は22日、日本から北海道大学や国立遺伝学研究所の訪問団や、「蓬莱米の母」と称される末永仁の外ひ孫である久島紘樹さんらを招き、「原種田」(品種改良に必要な原種を育成した場所)があった陽明山・竹子湖で、「中村種」や「台中65号」などの田植えを行い、先人への感謝の念を捧げた。
そのうち「台中56号」は、台中農改場の前身である台中州農事試験場の技師であった磯永吉(いそ・えいきち)と末永仁(すえなが・めぐむ)が日本品種の「亀治」と「神力」を交配して育種したもの。現在台湾で栽培されている「蓬莱米」はすべて、「台中65号」を品種改良したものだ。このため台湾では磯永吉を「蓬莱米の父」、末永仁を「蓬莱米の母」と呼ぶ。
久島紘樹さんは、幼少期から外祖母に曾祖父・末永仁の育種への取り組みを聞かされていたこと、これまで7、8回台湾を訪れ、15年前に家族ゆかりの台湾の「蓬莱米」を初めて食べて感動したことなどを語った。また、今回記念行事に参加して、日本と台湾のつながりをより深く感じたと述べた。
農業部の胡忠一政務次長(副大臣)は、「かつて台湾人は『在来米』と呼ばれる長粒種のコメを食べていた。これは日本人には馴染みがなかったため、日本人は日本の品種を台湾に持ち込んだ。しかし、温帯に適した日本の品種は台湾の熱帯気候に適さなかった。このため、台湾各地の農事試験場で品種改良が行われた。その後、台湾の気候に適応した品種が育成されたことで、台湾総督だった伊沢多喜男が1926年に、台湾で生産されるうるち米を総称して『蓬莱米』と命名した」と説明した。
戦後も台湾の専門家による育種や研究が続き、病気に強く質の高い品種を誕生させてきた。胡忠一政務次長は、最近日本で行われた「米・食味分析鑑定コンクール」で台湾産米が2度も金賞を受賞したことを例に挙げ、「現在の台湾産米は日本産米に引けを取らず、日本の消費者ですら区別がつかないほど。昨年、台湾産米の日本向け輸出量は、輸入割当の枠を突破して1万2,500トンに達した。これは例年の3~4倍だ。今年は日本の米の生産量が増えているものの、台湾産米の対日輸出は3月末時点で4,500トンに達しており、今年の対日輸出の成績も期待できる」と胸を張った。
田植え式典に出席した台湾住友商事の長阿紀良董事長も、「台湾産米と日本産米の食感はもはや判別が難しく、かつて日本の消費者は日本産米を好んで食べていたが、現在は台湾産米も高く評価されている。また、各国から日本へ輸入されるコメの中でも、台湾産米は日本人の食習慣に近い優れた食感を持つため、日本の消費者は台湾産米を優先して選ぶ傾向がある」と語った。