第二次世界大戦の末期、日本占領時代の台湾では「皇民化運動」が行われ、布袋戯も軍隊の慰問上演や政治宣伝に利用された。戦争が終わると、民間の演劇活動が活発になり、布袋戯もさまざまな場に呼ばれ上演されるようになった。ただ、1947年の二二八事件をきっかけに、政府は個人的な集会を許可しないことを理由に、戸外の舞台での演劇上演を1年以上にわたり禁止した。このため多くの布袋戯劇団が劇場での上演を余儀なくされ、観客からの入場料で生計を立てなければならなくなった。観客を呼び込むため、布袋戯の演者たちは物語の自作を始めた。内容はだいたいが「恩(恩情)、怨(恨み)、情(人情もの)、仇(敵討ち)」で、これがすなわち近代の台湾で発展した「金光布袋戯」である。
布袋戯劇団、五洲園の創始者・黄海岱氏の跡を継いだ2代目の黄俊雄氏は1958年、世界初の布袋戯による映画を制作した。そして1970年3月、黄俊雄氏はテレビ布袋戯『雲州大儒侠――史艶文』を制作、一大ブームを巻き起こした。現在では、現場で人形劇と同時に生で台詞を話す布袋戯の劇団は珍しい。