2024/12/27

Taiwan Today

政治

「国際女性デー」、台湾における女性の権利の変遷を振り返る

2017/03/08
台湾ではこの半世紀余りで、フェミニズムの思想が時代と共に変化を遂げてきた。女性の権利に関するテーマの範囲も、フェミニズムの発展に伴って広がってきている。写真は「国際女性デー」に当たる8日、台北市内で開催された「国際女性デー」を祝うイベントに出席した蔡英文総統(左から3人目)。右から3人目は衛生福利部(日本の厚生労働省に類似)の陳時中部長(大臣)。(中央社)
3月8日は「国際女性デー」である。この半世紀余りで、フェミニズムの思想は時代と共に変化を遂げてきた。女性の権利に関するテーマの範囲も、フェミニズムの発展に伴って広がってきている。
 
台湾ではかつて、国内外の政治や社会的要素の影響を受け、女性解放運動といえばほとんどが、少数の民間女性団体によって行われていた。その他の大部分の女性団体は、女性の救済や支援といった伝統的な奉仕活動に重点を置いていた。
 
戒厳令解除(1987年)から1990年代初頭まで、女性解放運動は抗議デモと立法院(国会)での遊説の同時進行で行われた。社会に対して問題を提起したほか、法改正の実現といった成果も見られたが、政治体制を変えたり、社会に横たわる既存のジェンダー関係を揺るがしたりすることはまだ困難だった。
 
1997年になって行政院婦女権益促進委員会(「行政院性別平等会」の前身)が発足。民間の女性団体が徐々に、同委員会を参加型民主主義のプラットフォームとしながら、この新たなパートナー関係の運用を試みるようになった。
 
2003年に開催された「国際女性シンポジウム―台湾におけるジェンダー主流化の展望」と題する会議では、海外で注目されているフェミニズムの議題を台湾内部の関連テーマと結びつけて議論しただけでなく、国連が推進する「ジェンダー主流化」に関するさまざまな取り組みを、台湾の政治体制でもより積極に実践するきっかけとなった。
 
女性の権利に関する法令を見ると、台湾では1947年の「中華民国憲法」制定の時点で、女性の参政権が認められていた。具体的には、各レベルの議員選挙において女性枠を保障する必要があると憲法で明記されたのである。戒厳令解除後、台湾の女性団体が徐々に力を持ち始めると、法改正にもより強い影響力を与えるようになった。例えば1991年の「中華民国憲法追加修正条文」第10条では、「国家は女性の尊厳、並びにその身体の安全を守り、性差別を除去し、 両性の地位の実質的平等を促進しなければならない」と定められた。2005年の憲法改正で、立法委員(国会議員)の選出方法が「小選挙区比例代表並立制」に改められた際には、「各政党の比例代表当選名簿において、女性の比率は二分の一以下となってはならない」と定められた。女性の政治参与の比率が憲法に盛り込まれたことで、女性の国会での影響力が高まった。台湾では1998年の段階で19.1%だった国会議員に占める女性の比率が、2016年には38.05%にまで成長している。
 
女性の参政権のほか、1990年代以降には女性の境遇改善に関する法案が10項目以上制定された。そのうち「防暴三法」と呼ばれる「セクハラ防止法」、「性暴犯罪防止法」、「家庭内暴力防止法」の成立によって、女性は公私両方の場で身体の安全が確保されることになった。また、「性平二法」と呼ばれる「性別平等工作(勤務)法」及び「性別平等教育法」では、あらゆるジェンダーが職場や教育の場において、しかるべき権利を享受できることが明記された。
 
このほか「民法」の親属篇は、数回にわたる改正の末、夫婦財産制に関する内容が修正され、既婚女性の財産に対する自主権が確保されたほか、専業主婦の無報酬労働に対する経済的安全保障が明記された。また、子女の姓に関する規定が改正され、子どもの姓について、父方の姓でも母方の姓でも選べるようになり(台湾は夫婦別姓が多い)、父系社会の伝統的思考に新たな風を吹き込んだ。
 
また、考試院(日本の人事院に相当)は2006年から2007年にかけて、国家試験における性別制限の見直しを行った。現在でも刑務所や拘留所における矯正や看守の職業については、職務内容の特殊性から性別比の制限が設けられているものの、その他の国家試験については全面的に性別制限が撤廃されている。
 

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