2024/12/27

Taiwan Today

文化・社会

ホウ・シャオシェンの「空空児」の死が台湾での同性婚合法化を促す

2017/05/26
Jacques Picouxさん(写真)の自殺は台湾における同性婚合法化の実現を促すことになった。(TAIWAN INFOより)
中華民国(台湾)の最高司法機関、司法院の大法官はこのほど憲法解釈を行い、現行の法令が同性の婚姻を保障していないことは、憲法が人々の婚姻の自由や平等権を保障する趣旨に反していると判断、主務機関は向こう2年以内に法律の改正もしくは制定を完了すべきであると主張した。そして、2年過ぎても法律の改正もしくは制定が終わっていない場合、同性パートナーの、戸籍管理機関における結婚登記を可能にするとしている。
 
このニュースは世界のメディアの注目を集め、記者と読者が、台湾に滞在していて昨年亡くなったフランス人の学者、Jacques Picouxさんに触れている。Picouxさんは生前、台湾でフランス語とフランス文学を教えていたほか、映画芸術にも携わった。台湾では40年近く暮らしていた。
 
Picouxさんは1979年、パリ第7大学と国立台湾大学外国語学科の協力プロジェクトで台湾にやってきた。2年間の客員教師を経て、台湾が気に入ったため国立台湾大学に残って教鞭をとった。画家でもあり、コラージュ作品を制作。また映画芸術を愛しており、「台湾ニューシネマ(1980年代から1990年代にかけて台湾の若手映画監督たちが制作した実験的な映画とその運動の総称)」の制作に参加、台湾のホウ・シャオシェン(侯孝賢)、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)、エドワード・ヤン(楊徳昌)、香港のウォン・カーウァイ(王家衛)、中国大陸のチャン・イーモウ(張芸謀)ら、著名な映画監督の作品でフランス語の翻訳を担当した。中国大陸の有名女優、コン・リー(鞏俐)のマネージャーを務めていた曽敬超さんと35年間にわたる同性パートナーだった。
 
フランスの日刊紙「リベラシオン(Liberation)」は、記事の冒頭でPicouxさんと彼の同性パートナーに言及。報道では、二人は35年間共に暮らしていたが、男性パートナーが死んだことでPicouxさんはアパートから追い出され、昨年飛び降り自殺したと説明、このことが、同性パートナーが台湾では法的に認められていない事実を浮き彫りにしたと伝えている。
 
また、同じく日刊紙の「フィガロ(Le Figaro)」の報道には、ある読者が長文の書き込みを寄せた。この読者はPicouxさんに深い共感を示し、法律が時代にそぐわないものであることが、パートナーの死後、Picouxさんから全てを奪ったのだと指摘、しかしこのことが、台湾における同性愛者の権益を求める組織により強力な動員を促し、「中世に対抗する戦いに成果をもたらしたのだ」と強調した。
 
昨年10月16日、Picouxさんが飛び降り自殺したことが、同性婚の合法化に向けた各界の積極的な取り組みにつながった。国立台湾大学の学生会と数十の学生団体、サークルは昨年12月9日に合同で声明を発表、Picouxさんを追悼することで婚姻の平等権を支持し、立法院(国会)が民法改正案を速やかに審議するよう呼びかけた。
 
今回、憲法解釈で同性婚合法化の方針が決まったことを受け、Picouxさんの教え子で弁護士の李晏榕女史は、もう少し早く決まっていたならば、「Picouxさんは自殺を選ばなかった」と残念がっている。
 
台湾の男性パートナー、曽敬超さんと35年間を共にしたPicouxさんは台湾で長く教鞭をとり、芸術的な創作活動にいそしんだ。また、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の『黒衣の刺客』では西域の祈祷師、「空空児」を演じるなど、文化界での交友関係が広かった。2015年に曽敬超さんががんで死去、曽さんの遺族は曽さんがPicouxさんに残そうとした遺産を奪おうとした。また、危篤状態で意識を失っている曽さんに、家族は病院側が救命措置を取るよう要求、その措置に曽さんがもがき苦しみ、看護師は曽さんの腕を縛るまでしたが、それを目の前にしながら同性パートナーであるPicouxさんの意見は「家族ではない」ことから聞き入れられなかった。曽さんの死後、遺体を引き取ることもできなかった。
 
Picouxさんは最愛の人を失ったこと、そして現実的な環境の中で救いが得られなかったことから自ら命を絶ったのである。
 
李晏榕女史らが調整に協力し、要求したことで、今では曽さんとPicouxさんが残した財産の分与に明るい兆しが見えている。李晏榕女史によると、曽敬超さんは生前、二通の遺書を書いた。一通では、台湾と各国における不動産など財産の大部分をPicouxさんに残すとした。理由は二人がずっと共に努力してきたこと。もう一通は、台湾の家を除く、その他の現金などの財産を全てPicouxさんに残すというもの。しかし、曽さんが亡くなると、遺言執行人である曽さんの兄は、Picouxさんが中国語が得意でないことなどを利用して、「遺書の内容に沿わない処理を行った」。Picouxさんがこれに絶望したことが、悲劇につながったという。
 
李晏榕女史は、「Picoux先生は生前よく、台湾での同性婚に触れ、その合法化を希望していた。残念だが、彼はその実現を目にすることはなかった」と話す。Picouxさんと曽さんは、早くにフランスで「同性パートナー登記」を済ませていたが、台湾では認められなかった。今回、司法院の大法官が合法化に向けた憲法解釈を行った。李晏榕女史はPicouxさんの姉と連絡することにしており、この良い知らせをどんな形でPicouxさんに伝え、天国にいるPicouxさんの魂を慰めるかを話し合おうとしている。
 
 

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