2024/06/30

Taiwan Today

文化・社会

第二次世界大戦の捕虜の家族、雨中の金瓜石で先人を偲ぶ

2017/11/13
新北市金瓜石の「国際終戦平和記念パーク」で12日、第二次世界大戦の間に日本軍によって金瓜石に捕虜として収容されたイギリス連邦などの兵士たちを追悼する活動が行われた。写真右はNick Beecroftさん。息子は記念碑に刻まれた祖父の名前をカメラに収める。(中央社)
台湾北部・新北市瑞芳区金瓜石にある「国際終戦和平紀念園区(平和記念パーク)」で12日、「第二次世界大戦における捕虜」記念活動が行われた。「台湾捕虜収容所記念協会(Taiwan POW Camps Memorial Society)」は今年で設立20周年。12日の活動はイギリス連邦のオーストラリア駐台湾弁事処が主催、金瓜石勧済堂及び新北市立黄金博物館が協力して行われた。
 
「台湾捕虜記念協会」の会長でカナダ籍のMichael Hurstさんによると、第二次世界大戦の1942年から1945年の間に、4,350人を超える連合軍の兵士たちが台湾の捕虜収容所16カ所に収容され、数百人が命を落とした。Hurstさんは、同協会ではこうした捕虜収容施設を全力で調査することで、これらの兵士たちが祖国や家族を守るために血や汗を流した歴史を後世の人々が永遠に忘れず、こうした悲しみの歴史に想いを馳せ、兵士たちに敬意を抱くようにしていると説明した。Hurstさんは、「私たちは毎日、そして永遠に彼らのことを偲ぶ」と述べた。
 
捕虜輸送船の「イングランド丸」は1942年11月14日、捕虜となったイギリス連邦の兵士1,100人を乗せてシンガポールから台湾北部の基隆港に到着。523人が金瓜石に送られた。このため、毎年11月の第2日曜日に記念活動が行われている。今年は同協会発足20周年であることから、捕虜となった兵士の遺族9人が参列。イギリス人のNick Beecroftさんは子どもを連れて初めて来台、「子どもに、おじいちゃんのことを永遠に想い、忘れないよう教える」と話した。また、やはりイギリスから初めて台湾を訪れたというLouis Follonさんは、父親は当時シンガポールから金瓜石の収容所に送られたのであり、今回の訪台は記念としての意義があると述べた。
 
捕虜収容所は元々鉱夫の寮だった建物で、同平和記念パークでは収容所の門柱と一部の壁が残っていただけだったが、1997年に「金瓜石台湾捕虜記念碑」が落成した。記念碑には「台湾捕虜収容所記念協会」が整理した元捕虜の名前が刻まれている他、「当時、日本軍が最初に設けた捕虜収容所であり、イギリス連邦を主とした連合軍の捕虜が多く収容された。彼らはマレーシアやシンガポールで捕虜となった。捕虜の労働は鉱山での採掘作業で、戦争に必要な銃弾や砲弾の原料を提供することだった。生活と労働環境が劣悪で、管理は厳格、医薬品不足に加えて台湾での環境に慣れないこともあり、多くの捕虜が猛暑の中で虐待され、奴隷のような労働を強いられ命を落とした」と書かれている。
 
「中華民国退伍(退役)軍人協会総会」の理事長特別アシスタントを務める宋海笙さんは取材に対し、「祖国を守るため犠牲になった軍人は尊敬に値する。退役軍事協会は世界の退役軍人と共にあり、この記念活動には20年来、欠席したことがない」と話した。生憎の雨となった記念活動ではスコットランドのバグパイプとトロンボーンが演奏される中、「台湾捕虜収容所記念協会」の関係者と元捕虜の遺族らが一人ひとり記念碑の前で黙とうを捧げ、花を手向けて元捕虜たちを追悼した。
 

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