トルコ東部のエラズー県で24日夜8時55分(現地時間)にマグニチュード6.8の地震が発生。捜索救助隊が27日、がれきの下から最後の遺体を回収したことから、同国災害緊急事態管理局(AFAD)のメフメト・ギュッルオール(Mehmet Gulluoglu)局長は捜索の終了を宣言した。犠牲者は41人、負傷者は1,600人を超える。
捜索救助活動にはイスタンブールのボランティア団体、捜索救助協会(AKUT)もボランティア126人と4頭の捜索救助犬を動員し、8人を救出すると共に3人の遺体を発見。その後、活動の終了を受けて被災地から撤収した。
AKUTはAKUT Associationの略称で、1999年に台湾で「921大地震」が起きたときには隊員17人をトルコからの救助隊に参加させた。同救助隊は地震発生の翌日に台湾に到着、発生から50時間後には彰化県員林鎮(台湾中部)で倒壊した龍邦富貴名門ビルのがれきの下から同ビルの住民1人を救出した。
AKUTは27日、フェイスブックを通じて、今回の任務を物資と精神面でサポートしてくれたトルコの政府機関と民間企業、個人にそれぞれ感謝の言葉を述べ、台湾に対しても、「強くサポートしてくれた台湾の人たちに心から感謝する」と記した。ツイッターでも同様のメッセージを投稿している。
フェイスブックでの投稿には、AKUTが台湾を取り上げて感謝している理由を尋ねるトルコの人からの書き込みがあり、AKUTはこれに対し、台湾の人から多くのメッセージを受け取ったと説明した。それによると、地震発生後、AKUTのSNSに台湾の人から多くの書き込みがあった。内容は、「1999年の地震の際、あなた方は外国から最も早く来て私たちを助けてくれた。私たちがそれを忘れることはない。今回は私たちがあなた方をサポートする番だ」といったものだったという。
AKUTのZeynep Aktosun事務局長は28日夜、台湾のメディアに対し、「地震が起きてからは台湾からのメッセージが、我々が前進するための最大の原動力になった。また、AKUTの銀行口座には台湾からの寄付金が集まった。その額は本当に多く、とても感謝している」と語った。同事務局長によると、地震発生後、AKUTは様々な国から寄付金を受け取ったが、「台湾はトルコ以外で最も多くの寄付をしてくれた国」だった。同事務局長はさらに、「寄付金はもちろん重要だが、台湾の人たちからの書き込みこそが最大の励みになった。ボランティアたちはメッセージを読みながら涙を流していた」と振り返った。
AKUTの名称はトルコ語の「arama」(捜索)と「kurtarma」(救援)の2つの単語を縮めたもの。1996年に設立された非政府組織(NGO)で、2011年には国連の国際捜索・救助諮問グループ(INSARAG)による認証を受けている。