国防部(日本の防衛省に相当)空軍司令部は5日夜、「721馬祖空戦の英雄」と呼ばれた、歐陽漪棻さんが同日正午、台湾中部・台中市の栄民総医院で病死したことを発表した。90歳だった。
721馬祖空戦とは、1956年7月21日、離島・馬祖において、中華民国空軍と中国共産党の人民解放軍の間で発生した空戦。歐陽漪棻さんはこの空戦で、F-84戦闘機「サンダージェット」を操縦し、中国共産党人民解放軍のMiG-17戦闘機2機を撃墜したことで知られている。
1930年8月3日生まれの歐陽漪棻さんは、空軍司令部の資料によると、幼い頃に戦争を経験したころから、中国大陸・重慶の空軍幼年学校へ進むことを決意したという。その後、1951年6月に台湾・空軍士官学校へ飛行戦闘科の第32期生として入学、1952年に卒業後、台湾中南部・嘉義空軍基地に配属された。1953年、パイロット訓練、整備支援のプログラムを受けるために渡米し、1954年にアリゾナ州のウィリアムス空軍基地にて訓練を修了した。
空軍司令部は、当時について「1956年7月21日、空軍中尉だった歐陽漪棻さんは、偵察・援護任務のため、中国大陸・福建省平潭の上空に到着したところ、MiG-17戦闘機に遭遇した。MiG-17よりもスペックが劣るF-84戦闘機を操縦していた歐陽漪棻さんだが、優れた戦闘技術とチームワークを発揮して、2機を撃墜、2機を撃破した。これによって、721馬祖空戦で中華民国に大勝利をもたらすと共に、歐陽漪棻さんには、『青天白日勳章』と『二星星序獎章』が授与された」と説明した。歐陽漪棻さんは、戦闘機のジェット時代の幕開けに活躍した第一人者ともいえる。
721馬祖空戦について、国防部のフェイスブック「国防部報道官」が2014年7月21日に掲載した文章によると、1956年7月21日、馬祖島に属する高登島から福建省の北東岸、三都澳の間の上空で、中華民国空軍が操縦するF-86セイバーとF84サンダージェットが中国共産党人民解放軍のMiG-17と遭遇、空戦が発生した。中華民国空軍は、2機を撃墜、2機を撃破した。721馬祖空戦の大勝利は、当時の台湾全土の軍人の士気を高め、市民を勇気づけたという。