2024/12/28

Taiwan Today

政治

日本統治時代の台湾で暮らした市井の人の物語、古写真で振り返る

2024/12/24
国家撮影文化中心(国家撮影文化センター)は現在、オンライン写真展『找回活過的痕跡:台中師範写真収蔵的記憶』を公開している。日本統治時代の台湾で暮らした大分県出身の濱田忠毅さんが残した『台中師範写真』に収められた写真の内容を研究し、解釈を加えたもの。(国家撮影文化中心)
国家撮影文化中心(国家撮影文化センター)は近年、台湾各地に残る古写真や映像資料を収集し、これらをデジタル化して展示している。歴史を揺るがす大事件の記録から市井の人々の生活を記録したものまでさまざまだ。そのうちの一つが『台中師範写真』全3冊だ。160枚の写真を整理したアルバムで、絵葉書1枚も含まれる。アルバムの持ち主(大分県出身の濱田忠毅さんであると推測)が日本の故郷の友人らと別れを告げ、期待を胸に台湾へ渡り学んだ日々や、戦争の影が広がる中、もしかしたら二度と再会できないかもしれない同僚たちと撮影した写真などが収められている。
 
このアルバムの持ち主と推測される濱田忠毅さん(1918年7月16日生まれ)は1936年に台湾へ渡り、台中師範学校で学んだ。卒業後は台中州石岡公学校(現在の台中市石岡区石岡国民小学)で就職。1944年、同じ台中の明治国民学校(現在の台中市中西区大同国民小学)に転任した。徴兵されて台南で軍事訓練を受けたが、戦場に駆り出されることなく終戦を迎えた。戦後もしばらく台湾にとどまり、明治国民学校での引継ぎ(国民政府による接収)に協力。その後、大部分の日本人と同じように、日本へ引き揚げた。彼は台湾の歴史に名を残すこともなかった一般人ではあったが、同時に植民地時代の台湾社会を構成する一員でもあった。歴史における彼の役割は明らかではないが、残された史料と写真をもとに、この時代の歴史家たちが専門的な研究方法によってこれらの生活史料に潜在的価値を見出した。
 
国家撮影文化中心は、国立成功大学歴史系(歴史学科)の簡宏逸助理教授に協力を求め、約2年の歳月を費やして『台中師範写真』に収められた写真の内容を研究し、解釈を加え、オンライン写真展『找回活過的痕跡:台中師範写真収蔵的記憶』を企画した。これらの写真は「相簿的主人」(アルバムの主人)、「故郷中津的朋友」(故郷中津の友人)、「畢業来台湾」(卒業後、台湾へ)、「台中師範的師友」(台中師範学校の教員や学友)、「台中師範生活点滴」(台中師範学校時代の生活のあれこれ)、「環島修学旅行」(台湾一周の修学旅行)、「台中州教育現場」(台中州の教育の現場)、「戦争陰影下的台湾」(戦争の陰影下の台湾)、「活下去吧」(生き残ろう)の9つのサブタイトルがつけられて分類。合計68枚の写真を通して、日本統治時代の台湾における師範学校の学制やカリキュラムなどを紹介している。写真とキャプションを通して、当時の学校で行われていた授業や学生生活の様子などを知り、日本統治時代末期の台湾の様子をかいま見ることができる。
 
日本政府が台湾を統治した50年間、濱田忠毅さんのような一介の教員、あるいは警察官、公務員などの名前は、せいぜい各機関の「職員名簿」に掲載されている程度で、彼らの台湾での暮らしぶりを記録したものは極めて少ない。彼らは往々にして統計資料の数字を構成する一人でしかなく、「職員名簿」のような行政資料に残るわずか数文字に過ぎなかった。しかも彼らは戦後、相次いで日本へ引き揚げた。彼らが生きた証(あかし)は台湾の歴史や記憶の外に消えていった。後世の学者たちにとって、こうした人々の記録を再現することは非常に困難だ。しかしそれは同時に、各時代の映像史料を保存、整理、研究することに価値や重要性があることを意味している。
 
市井の人、濱田忠毅さんが残したアルバム『台中師範写真』からは、台湾で学んでいた時期の屈託のない期待に満ちた表情から、日本統治時代末期、戦争によってもたらされた憂いをもった表情に至るまで、この時代、この土地で生きるために努力した人の痕跡を探ることができる。
 
■オンライン写真展『找回活過的痕跡:台中師範写真収蔵的記憶』はこちらでご覧いただけます。
https://ncpi.ntmofa.gov.tw/News_Content_OnlineExhibitionLit.aspx?n=8008&s=228278
 
 

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