日本の野田佳彦首相が24日、釣魚台列島に領有権問題は存在しないと述べたことに対し、外交部は24日、中華民国政府は釣魚台列島の主権を断固主張し、日本側の主張は受け入れないとの立場を重ねて表明した。
野田首相は記者会見で、自国内での世論をあおって互いの対立をエスカレートさせることはいずれの利益にもならないとし、関係諸国が大局を重んじ、冷静に対応するよう期待している。外交部はこれについて、中華民国政府は日本側のこの観点は馬英九総統が提示した「東シナ海平和イニシアチブ」に呼応するものだと考えており、今後は同イニシアチブに従って、日本側との対話と意思疎通を強化していくと述べた。
外交部が野田首相の発言に対して行った2点の説明は以下のとおり。
一、 釣魚台列島は歴史、地理、地質、使用、国際法のいずれの角度から見ても中華民国固有の領土で、台湾に属する島嶼であり、これは疑う余地が無い。歴史から言えば、明朝永楽元年(1403年)の我が国の「順風相送」という書物で釣魚台について触れており、同列島は中国人が最も早く発見し、命名し、使用していたことが示されている。明と清の朝廷が新たな王を任命するため琉球に派遣した特使の多くが、「使琉球録」では、釣魚台列島を航海の目印としたことが記されている。また、清朝の公式文書(1722年の「台海使槎録」、1871年の「重纂福建通志」など)では、釣魚台列島を海上防衛拠点としている。18、19世紀の中外地図においても、釣魚台列島は中国の領土となっている。多くの歴史的な文献はいずれも、釣魚台列島は我が国の先人が最も早く発見し、命名し、使用し、国土に納めていたことを証明しており、同列島は1895年に日本が占領するまで「無主の地」だったわけではない。
二、 明らかにされた日本の外交文書では、明治18年(1885年)に日本の山県有朋内務卿が沖縄県の西村捨三県令に対し、釣魚台列島を視察して「国標」を設置するよう密令を出したが、釣魚台列島が中国に発見され、命名され、史書に掲載されていること、ならびに上海の新聞「申報」が日本の野心について報じていることを知り、「他日の機会に譲り候方然るべし」として、占領を先送りにしたことが示されている。甲午戦争(日清戦争)で日本が勝利に近づいたとき、日本の内閣は「状況が変わった」として、1895年1月に「秘密決議」の方式で、沖縄県が釣魚台に「国標」を設けることを許可した。しかし、この決議は対外的には隠され、また、慣例である、天皇の勅令で正式に公布するプロセスが取られなかったことで、日本の言う、「釣魚台列島を先に占拠した」ことが、外国にはまったく知られないという事態を招いた。さらに、沖縄県は当時、実際には国標を設置しなかった。