第一次世界大戦が終結して今年で満100年を迎えた。台湾北部の基隆にあるフランス公墓でも12日、拡大記念式典が行われた。同市の林右昌市長は、文化部から8億6,000万台湾元(約31億7100万日本円)の補助を受け、市は関連史跡をまとめて整備する「大基隆歴史場景再現整合計画」を行うと述べた。清仏戦争記念園区(フランス公墓)を中心に、向こう4年で周囲の歴史的な場をつなぎ、かつてみられた砂浜と海岸線を再現する。
フランス大使館に相当するフランス在台協会と台湾法僑団体(台湾在住のフランス人団体)、ドイツ、英国、ベルギーの各駐台代表(各国大使に相当)および台北欧州学校(在台の欧州人子弟が学ぶ学校)の教師・生徒は12日、フランス人墓地を訪れ、1884年から1885年にかけて戦われた清仏戦争において、基隆や澎湖で命を落とした700人余りのフランス海軍の士官や兵士を追悼した。
林市長は、上述の計画は大沙湾地区(基隆港東岸)から和平島、基隆港西岸までを結び、同地区全体の歴史的なスポットをめぐる物語を語ることができるものにすると語った。
フランス公墓のそばにある中華民国海軍の旧中浜営区(駐屯地)は間もなく取り壊される。今後、太平輪沈没事故(1949年の大型客船海難事故)の犠牲者記念碑、要塞司令官邸、士官宿舎、市長官邸、旭丘指揮所などの歴史的なスポットをまとめ、世界史教育やレジャー・観光の拠点にしたい方針だ。
基隆で最も古い海水浴場、大沙湾海水浴場はちょうどここに位置し、後にふ頭建設のため埋め立てられた。同計画は4年間をかけ、かつてここで見られた砂浜と海岸線を再現する。またフランス公墓は世界平和の価値を伝え、台湾と欧州の人々をつなぐ史跡にしたいとしている。
清仏戦争記念園区は、1884年から1885年にかけて戦われた清仏戦争において、基隆や澎湖で戦死した700人余りのフランス海軍の士官および兵士を追悼するため、1885年に整備された。1945年に中華民国外交部がフランス公墓として接収し、1999年に基隆市に管理が引き継がれ、2006に現在の名称となった。