2024/05/02

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建築家の貝聿銘氏が102歳で死去、ルーヴル美術館のピラミッドを設計

2019/05/17
中華系の米建築家で、「建築界のノーベル賞」とされるプリツカー賞など数々の栄誉に輝いた貝聿銘(Ieoh Ming Pei)氏が16日(米東部時間)に102歳で死去した。(聨合報)
中華系の米建築家、貝聿銘(Ieoh Ming Pei)氏が16日(米東部時間)に死去。享年102歳だった。貝氏の三男、貝礼中氏がニューヨーク・タイムズに対し、貝聿銘氏は16日早朝に亡くなったと明らかにした。死因は報じられていない。貝聿銘氏は近年、姿を見せることが少なくなっていたが、3週間前には102歳の誕生日を過ごしたばかりだった。米国における華人団体の「百人会」(Committee of 100)は今年4月5日、ニューヨークで開いた発足30年の祝賀式典と総会で、貝聿銘氏に世界建築設計特別功労賞を授与している。(本人は出席せず)
 
貝聿銘氏は中国大陸蘇州の名家出身で1917年4月26日に広州で生まれた。18歳の時に渡米、ペンシルベニア大学で建築を専攻した。その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)に転入して1940年に卒業、1946年にはハーバード大学の建築学修士号を取得した。1954年には米国籍も取得している。
 
貝聿銘氏の作品は公共の建築物と文化や教育に関する施設が中心で、モダニズム建築に分類される。鋼材やコンクリート、ガラスと石材の応用に長け、光と空間の結合を強調した。「光線に設計させる」という名言も残している。
 
1984年、フランスのミッテラン大統領(当時)の依頼を受け、貝聿銘氏はルーヴル美術家の中庭に設ける主な入場者用入口として、ガラスと金属による巨大なピラミッドを設計。周囲にも同じデザインで小型のピラミッドを3つ配置した。工事は1989年に完成。当時、フランスの人々の大多数はあまりにも前衛的だとして建設中止を求めたが最終的に工事は行われ、30年後の今、このピラミッドはパリのランドマークの一つとなっている。
 
貝聿銘氏は生前、数多くの栄誉に輝いている。そのうち最も有名なのは1983年のプリツカー賞受賞。当時、貝聿銘氏の最も有名な作品は1978年に完成した米国のナショナル・ギャラリー東館だった。審査員たちは貝聿銘氏について、「20世紀の建築界に世界で指折りの貢献を果たした」と高く評価、貝氏が創り出す美しい内部空間と外観についても、「貝氏の多くの面での才能と建材を応用する技巧はすでに詩の境地に達している」と評した。
 
 

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